PERFECT GOLDEN BLOOD

2章:美しい館ベル・サーラの住人たち - 6 -

 朝の七時。
 小夜子が目を醒ました時には、部屋の窓のシャッターは全ておりていた。身支度を済ませてキッチンへいくと、テーブルの上に、USBメモリ、アパートの鍵が置かれていた。手書きのメモが添えられていて、こう書かれていた。

 “部屋の鍵は開いているよ。邸内であれば、好きに過ごしていいから。
 それと、必要なデータをUSBメモリに移してきたよ。PCは自由に使って”

 データの場所は教えたが、まさか本当に持ってきてくれるとは思っておらず、小夜子は少し驚いた。
 これは、彼なりの譲歩のつもりだろうか?
 全く妙なことになってしまった。軟禁されているのか、守られているのかよく判らない。好きといってくれて、過剰なほど親切にしてくれるが、自分が一目惚れされるタイプでないことは判っている。実感はないが、黄金律の恩恵なのだとしても奇妙に感じてしまう。
(……昨日の告白は、都合のいい夢だったのかも……ルイさんが、私に本気になったりする? ……わけないよね)
 小夜子は椅子に腰かけたまま、物憂げなため息をついた。窓の閉じた部屋は、広くても閉塞感がある。じっとしているのが嫌になり、気晴らしに部屋の外へでてみることにした。少し緊張しながら扉のノブをひねったが、今朝はちゃんと開いたのでほっとした。
 部屋の外へでると、廊下に整然と並ぶ窓に、鋼鉄のシャッターがおりていた。
(ここまで遮光を徹底するって、よっぽどだよね……)
 寝室の遮光は、安眠のためと判るが、共用のリビングや廊下の窓までも遮光する理由はあるのだろうか?
 興味深く屋敷を散策していると、偶然、重々しい金属の扉を見つけた。優雅な内装に反して、この扉だけ異質だ。通り過ぎようとしたら、ギギっと音がなり、なかから開く気配がした。
 現れた男を見て、小夜子は思わず悲鳴をのみこんだ。
 分厚いゴーグルをした男は、白いエプロンを着用しており、全面にべったりと血のように赤い液体が付着していたのだ。
「小夜子?」
 彼は首を傾げた。声は若々しく、あどけなさが滲んでいる。
 小夜子は戸惑いながら、ぎこちなくお辞儀をした。彼はゴーグルを外すと、端正な顔に驚きを浮かべ、蒼氷色そうひいろの瞳で小夜子を見つめた。
「どうしたの? こんなところで」
 ゴーグル男の正体はヴィエルだった。小夜子は心の底から安堵した。
「こんにちは。ヴィエルさんこそ、どうしたんですか、その恰好」
 彼は己の恰好を見下ろし、気まずそうな笑みを浮かべた。
「ごめん、びっくりしたよね。昨日の夜から、ずっと研究室で実験をしていたんだ」
「……そうですか」
 小夜子は引きつった笑みで頷いた。何の実験? とは怖くて訊けない。
 ヴィエルはうしろを振り向くと、何かを指示した。まだ人がいたようだ。彼の後ろから、両手で担架をもった二人の男が現れた。手術用の帽子にマスクを着用しており、顔はよく判らない。運んでいる担架には、それなりに大きい何かが乗せられているようで、青いビニールを立体的におしあげている。
「Jette」
 彼の言葉に、研究助手らしき二人の男は、こくりと頷いて、廊下の奥へと消えていった。果たしてあの担架には、何が乗せられていたのだろう?
「鹿の死骸だよ」
 怖い想像を膨らませていた小夜子は、びくっとしてヴィエルを見た。
「鹿?」
「うん。見る?」
 小夜子は慌てて首をふった。
「……そのエプロン、血ですか?」
「うん。死骸を引き取って、解剖をしていてね。殺人鬼みたいでごめんね」
 彼がおどけた風にいうので、小夜子は引きつった笑みを浮かべた。
「ところで、小夜子は何をしているの?」
「えっと、することがなくて、邸のなかを見て回っていました」
「そうなんだ。この区画には、実験部屋とトレーニングルームしかないよ。二階へいってみたら? 音楽室や、千尋とルイの骨董部屋があるよ」
「骨董部屋?」
「ルイと千尋の趣味で、色々陳列されている部屋のことだよ。RAVENの展示会にいったんだよね? 彼の作品も飾ってあるから、見てみたら」
 小夜子は笑顔になった。
「ありがとうございます、いってみます」
 ヴィエルはにっこりした。
「うん。小夜子は気に入ると思うよ。さて、僕は研究に戻るとするよ。またね」
 さわやかな笑みにつられ、小夜子もほほえんで会釈をした。そのまま背中を向けた彼女は、幸いにも目にすることはなかった――ブルーシートからこぼれた人間の腕を。肌に刻まれた血に塗れた龍の紋様を……
 階段の方へ歩いていった小夜子は、ふと玄関が視界に入り、なんとなく傍へ寄ってみて、唖然となった。堅牢な鉄のシャッターがおりていたのだ。
「……外にはでられないってこと?」
 しかし、正面玄関を封鎖してしまったら、小夜子どころか、邸の住人も外にでられないだろう。
「小夜子さま?」
 ジョルジュの声にはっとなり、小夜子は慌てて振り向いた。
「あの、玄関も開かないんですか?」
「はい。日中は地上階の全ての窓と扉を封鎖しております。外へでたいのでしたら、地下の通路をご案内しますよ」
 どうやら、望めば外へでられるらしい。本当に閉じこめられているわけでもないと判り、小夜子はほっとした。
「どうして、日中は窓を閉じているのですか?」
「ここに住む旦那さまのなかには、日光が苦手な方もいるものですから」
 ジョルジュは神妙な口調でいった。小夜子は目を瞠り、同情的な口調で問うた。
「もしかして、どなたかご病気なのですか?」
「ご心配いただくような、重病ではございません。ただ、日光を苦手とされる体質なのです」
 美しい住人たちを思い浮かべ、小夜子は気の毒に思った。
「それは、さぞご苦労をされているのでしょうね」
「お気遣いありがとうございます。皆さま、夜型の生活を楽しんでいらっしゃるので、大丈夫ですよ」
 それは確かに、と小夜子は頷いた。
「外へでられますか?」
 ジョルジュの問いに小夜子は逡巡し、首を振った。いつでもでられるのなら、今でなくても構わない。
「いえ、二階へいってみても良いでしょうか?」
「もちろんですよ」
 ジョルジュはほほえんだ。小夜子もつられてほほえみ、会釈をしてから二階へあがった。
 まだ午前中のはずだが、窓という窓はシャッターで覆われていて陽の光が入らないから、時間の感覚が判らなくなりそうだ。
「きゃっ」
 階段をのぼったところで、誰かとぶつかりそうになった。胸に手をついて顔をあげると、冷ややかな紫の瞳と遭った。
「ごめんなさい」
 小夜子は慌てて離れた。アンブローズは不機嫌を隠しもせず、小夜子を睨みつけた。今日も一分の隙もないスーツ姿で、大変魅力的だが、非情に近寄り難い。彼は酷薄そうな薄い唇をひらき、
「まだいたのか」
 明確な拒絶に怯み、小夜子は言葉がでてこなかった。彼はたっぷり五秒ほど小夜子を睥睨してから、背を向けて階段をおりていった。
 小夜子はショックを受けて、しばらく立ち尽くしていたが、やがてのろのろと歩きだした。
(……好きでここにいるわけじゃない。帰っていいなら、とっくにそうしてる。ルイさんに引き留められたのよ)
 思い返すと、腹が立ってきた。あんな風に責められるいわれはない。でていけというのなら、ルイにいってほしい。
 むかむかしながら骨董部屋の扉を開いたが、あまりの部屋の見事さに、一瞬にして怒りを忘れてしまった。