PERFECT GOLDEN BLOOD

3章:Auオール revoirボワール - 9 -

 午前零時。
 東京渋谷。南口の通りから細い路地に入ってしばらく、常人には見えぬ扉から、だいだいの明かりが漏れている。
 通称、まじないの館は、地図にもWEBサイトにも載っていない、特殊な店だ。いわゆる闇の眷属たち専用の酒場で、訪れる客に人間は一人もいない。
 カウンターに立つ美しい女主人は魔女で、客に特別な飲み物や、癒し――苦痛を忘れ、甘い夢を見られる飲み物、水煙草、探しものを当てる占いといったものを提供している。
 店内は、なかなか瀟洒な造りをしており、今夜も多くの客で賑わっていた。
 ルイは、ウルティマスの助言のおかげで、カウンターに座り、自棄酒に走っていた。隣にはアラスターがいて、ルイの深酒につきあっている。
「……なぁ、いつまでこうしているんだ? 三日もルイが帰ってこないって、小夜子が心配していたぞ」
 アラスターはぼやきながら紙マッチを擦って、細葉巻シガリロに火を点けた。
「判ってる……けど、僕はもう彼女を前にして、自分を抑える自信がない」
 項垂れるルイを見て、アラスターは紫煙をくゆらせた。
「そんなに悩むことか? ウルティマスのいう通り、ちょっと小夜子の血をもらえばいいじゃないか」
 ルイはかぶりをふった。
「危険すぎる。血に興奮して、あいつ・・・が前面にでてきたら、小夜子はひとたまりもない」
「そこは制御しろよ」
「するさ! だけど、小夜子はとても臆病なんだ。僕が唸ったり牙を見せたりしたら、絶対に嫌われる」
 悄然とした口ぶりに、アラスターは口に含んだ酒を思わず噴きだしそうになった。
「嫌われる? そんな女々しい台詞を、お前の口から聞くとは世も末だな」
「女々しくて悪かったな」
「ウケる~。さんざん女を食い漁ってきたくせに」
「煩いよ。彼女は特別なんだ」
 そういって酒を煽る。アルコールが胃へ流れ落ちていき、体温の低い身体をぱっと火照らせる。しかし、臓腑をちくちくと蟻に刺されているような刺激は、酒のせいではない。身体が、血を求めているのだ。小夜子の甘い血を……
「で、これからどうするんだ?」
 アラスターの言葉に、ルイは我に返った。思わず苦虫を潰したような顔になり、頭を一つ振った。
「……誰がなんといおうと、彼女の血は飲まない。絶対に。もう食屍鬼グールはいないし……彼女のアパートに最新の防犯装置を設置して、彼女を送り返すよ」
「それだって、万全とはいえないだろ」
「毎晩様子を見にいく」
「面倒だなぁ、邸に置いておけばいいじゃねぇか。人間の小娘一人、どうにでもできるだろう?」
 ルイはかぶりを振った。
「“鉄の忍耐、石の辛抱”だよ。僕の愛は変わらない……“一切を与えられても、一切を拒まれても、変わらなくてこそ”」
「知るかよ、誰の言葉だよ」
「ゲーテだよ」
「知るかよ、誰だよ」
ルイは呆れたようにぐるりと目を回してみせた。
「いいか、俺たちは吸血鬼ヴァンパイアなんだぜ? その気になれば奴隷にだってできるのに――」
 ぎろりとルイが睨むと、アラスターは一度言葉をきった。少し間を開けてから続ける。
「十七の小娘を相手に、本気で恋愛ごっこする気か?」
「ごっこじゃない、僕の初恋だよ。小夜子とお似合いだろ?」
 アラスターは飲んでいたブランデーを吹きだしかけた。
「初恋ぃ? ルイくーん?」
「煩いよ。お前が思っているようなAventureアバンチュールとはわけが違うんだ」
「全く、見ていて苛々してくるぜ。いいからさっさと落とせよ、時間かける意味があるか?」
「逆に訊くけど、途方もない年月を生きてきたのに、どうして今さら急ぐんだ?」
「女王の件が片付いたってのに、理由もなく小夜子を館に押しとどめておけるのか? 夏休みが終わるまでっていう約束なんだろ?」
 ルイは迷う素振りをみせた。
「判っているさ……だからといって、催眠をかけるつもりはない。これ以上、彼女に対して不誠実でありたくない」
「誰も永久にかけろとはいってないさ、嘘が本当になるまでの間でいいじゃないか」
「嫌だ。小夜子は礼節正しい女の子なんだ。僕も相応しくありたい」
「面倒くせぇ……男ならがつっといけよ」
 ルイは睨みつけた。
「王に向かって、その口の利き方は感心しないな」
「まだ王じゃないだろ。散々遊び尽してきたくせに、女にふられて自棄酒に走っている奴がよくいうぜ」
「失敬だな。ふられたわけじゃない」
 悪態をつくルイを、アラスターはしげしげと見つめた。
「しかし、ルイでも女で悩むことがあるんだな。途方もない年月を生きてきたが、初めて見るぜ。面白ぇ」
 うるせぇよ、と上品なルイにしては乱暴な口調で悪態をついた。
「小夜子にふられたら、お前はどうなっちまうんだ?」
「小夜子を失ったら、僕の心は死んだも同然だよ。その先、生き永らえることに、なんの意味もなくなる」
「おいおい……王になるんじゃないのかよ」
「他の誰かに譲る。誰がなっても、実力は申し分ないだろ。僕のことは棺桶にでもいれて、土の底に埋めてくれ」
「虫に食われるぞ」
「殺虫剤と防腐剤も入れてくれ」
 アラスターは豪快に笑った。ルイもつられたように笑みを浮かべたが、不意に表情を消した。
「真面目な話、その時は僕も終わりだ。どこかでひっそりと、永劫の眠りにでも就くよ」
 アラスターは鼻を鳴らした。
「なんだってそう弱気なんだ。俺たちは不死のVだぞ」
「肉体は不滅でも精神は自尽する。枯れない泉はないんだよ、兄弟」
「重てぇ……小夜子にしてみれば天災かもな。ルイにそんなにも想われて」
 ルイは皮肉げに口角をもちあげた。
「嬉しいよ、慰めてくれて」
「小夜子のどこがそんなにいいんだ? 小動物みたいで構いたくなるのは判るけどよ、あれと恋愛しようとは思わねぇな」
「別に判ってもらおうとは思わないさ、僕にとっては、パトスを呼び起こす女神というだけ」
 そういってルイはグラスを煽った。彼女の魅力について言葉を尽くすこともできたが、わざわざアラスターに教えてやる必要はない。
 外見だけをいえば、小夜子はごく普通の女の子だ。彼女より可憐な娘も、妖艶な女もそこら中にいる。
 だが、一目見た瞬間に心を奪われた。小夜子の目に映っているだけで、歓喜に貫かれたのだ。美姫を侍らせ、快楽に耽っている時ですら、あのように心をそそる熱狂というものは味わったことがなかった。
 彼女に抱く思いは欲望だけではない。庇護欲、保護欲。大切にしたいという、純粋で深い思いがある。そういった感情を、血族たち以外にもつとは思っていなかったが、彼女は特別なのだ。
「ルイの初恋成就を願って――Allelujahアレルヤ!」
 アラスターがグラスをぶつけてくるので、ルイは鼻を鳴らした。小夜子を想うと、天に感謝を捧げたい気持ちになるが、身近に神を知っているだけに複雑である。
 神は創造において偉大だが、無私無欲で美徳のかがみかと訊かれたら、鼻で嗤ってしまう。神ときたら、全てを圧倒する力をもってして、礼儀正しく自己中心的に振る舞うのだから、悪魔よりも性質たちが悪い。
「ウルティマスに祈るのは御免だな。僕らは結局、彼の奴隷だろ? いっそ聖ディオゲネスのように、自由に生きられたらと思うよ」
「じゃあ、樽で暮らして月見でもするか」
「賛成。デカダンに浸っていたいよ……ゲーテは知らないくせに、ディオゲネスのことは知っているのか」
「あいつ、面白い奴だったからな」
 幾星霜を生きる彼は、古代ギリシア時代に、かつて彼と酒を飲み交わしたことを思い浮かべながらいった。