PERFECT GOLDEN BLOOD

4章:黄金律の血 - 6 -

 兄弟たちが獅子奮迅の働きをしている間に、ルイは姿を眩ませ、最上階へと忍び入った。女王の趣向からして、古城に人質を隠すなら、それは最上部だろうと踏んだのだ。
 彼の憶測は正しかった。
 最上部の最深部。いかめしい扉があり、その奥に小夜子の気配を感じられた。一見すると普通の扉だが、強力な呪術が施されており、ダイナマイトはおろか、核兵器を用いたとしても壊せないだろうと思われた。
 ルイは研ぎ澄まされた感覚を通して、囚われている小夜子を透かし見、壁に手をあてた。
(小夜子がいる)
 だが、彼女の息遣いは消え入る蝋燭のように細やかだ。安否を危惧しながら、いにしえの秘語を口にした。

我が父ウルティマスよ、太古の光輝を証明せよ。黄金色の光輝で露を払い給え”

 扉に超自然を帯びた波紋が拡がり、音も跡形もなく消え去った。
 小夜子は、ぐったりと石床の上に倒れており、その周囲に食屍鬼グールが群がっていた。
 その光景を目の当たりにした瞬間、ルイは、猛烈な憤怒の奔騰ほんとうを感じた。
 食屍鬼グール照星フロントサイトをあわせ、ひとさし指を引き金にかける――減音器サプレッサーで減じられた発砲音と共に、弾丸が飛びだし、弧を描いて食屍鬼グールをまとめて貫いた。
「ギ……ギギ……ッ!」
 生き残った敵が、ルイの死角を狙って壁や天井を這い回る。四方を囲まれても、ルイは冷静だった。片手で銃床をつかみ、予備の装弾をポケットからだして装填すると、流れるように掃射していく。
 百弾激雷。一弾も無駄にせず撃ちこみ、全てを片付けて小夜子の元に駆けつけた。
「小夜子!」
 ぐったりとした躰を抱き起こす。
 酷い外傷はないようだが、躰は冷えきっており、顔は死人のように青褪めている。
「小夜子、しっかり」
 肩を揺すっても反応はない。意識は、恐怖の奥底に飲みこまれてしまっている。女王の呪術にかかり、生きながら、召喚のにえにされているのだ。
 不気味な地響きに、ルイの肝が冷えた。このままでは、女王の召喚術が完成してしまう!
「小夜子、起きて」
 いつもは明るい黄金律の魂の輝きが希薄で、もう手遅れなのだろうかと怖くなる。
「お願いだ、小夜子。目を開けてくれ……っ」
 忸怩じくじたる思いでルイは呼び続けた。
 小夜子は――遠くから雪洞ぼんぼりを眺めているような、曖昧模糊あいまいもことした意識のなか、誰かに呼ばれるのを感じた。
 懐かしい……誰の声だろう?
 うまく、物事を考えられない。
 世界はずっとしたにあり、荒れ狂う波も驚異に感じることはない。自分はとても強大で、全能になったような気がしている。
 旧神と一体になり、世界を壊して、壊して、すべてを壊すのだ。
 けれども――に呼ばれると、いかようにもふるえる力を、躊躇ってしまう……誰に呼ばれているのだろう?
 誰?
 不意に、焦がれるほど懐かしい笑顔が思い浮かんだ。
 頬を熱い雫が伝い落ちるのを感じながら、瞼を持ちあげると、銀色の瞳と遭った。
 美しい瞳からあふれる涙が、小夜子の頬を濡らしていた。
(……泣いているの? ルイ)
 自然と名前が思い浮かんだ瞬間、封印されていた記憶が怒涛のように押し寄せてきた。
 十七歳の誕生日――黒ダイヤの腕輪。銀色の眼差し。手を繋いで、渋谷でデートしたこと。日毎夜毎ひごとよごと交わしたSNSのやりとり。RAVENの展示を見にいったこと。美しい館ベル・サーラ。彼の描く油絵。課題を教えてくれたこと。映画を見て笑いあったこと……初めてのキス。泣きながら抱きしめあい、愛しているといってくれた。一方的な、さようならの言葉。
 あの時も――初めて食屍鬼グールに襲われかけた時も、ルイは助けにきてくれた。
(貴方を忘れられるはずがない)
 覚えている、覚えている、すべてを覚えている。彼のことを覚えている。友情も愛も越えた次元で、理屈や常識を超えた次元で、彼を、ルイを覚えている!
「ルイ……」
 掠れた声で呟くと、ルイは貪るように小夜子を見つめてきた。銀色の瞳に、新たな涙が溢れるのを見て、小夜子は呼吸が止まりそうになった。
「好きだよ、小夜子。君のことが、本当に、心から……っ」
 ぎゅっと抱きしめられ、小夜子もルイの首に腕を回した。
「私もルイが好き」
 小夜子の瞳にも涙があふれた。喜びの涙だった。暖かな想いがとめどなく溢れてくる。
 けれども、優しい魂の交感は、不気味な地響きによって破られた。
 ルイは素早く涙をぬぐうと、厳しい眼差しを外へ向けた。銀色の双眸を小夜子に戻し、いきなり小夜子を横抱きにもちあげた。
「ひゃっ!?」
「ここから逃げよう」
 つかつかと躊躇なく窓に向かっていくので、小夜子は困惑した。
「えっ?」
「目を閉じて、僕につかまっていて。大丈夫、絶対に落としたりしないから」
 至近距離で真剣な瞳に見つめられ、こんな時だというのに、小夜子の胸は高鳴った。
 が、ルイが窓枠に乗りあげると、覚悟を決めて、ぎゅっと目を瞑った。しっかりとルイの首に両腕を回す。彼の腕は強固で安心感があったが、いざ浮遊感に包まれると、喉奥から悲鳴が迸りかけた。
 落下する感覚に肝を冷やしたのは一瞬で、すぐに安定感に包まれた。もう大丈夫、耳元で囁かれて恐る恐る目を開けると、地面の上だった。
 小夜子は遥かな尖塔を仰ぎ見て、本当にあそこから飛び降りたのかと驚愕する。次の瞬間、塔から凄まじい火炎が吹きあがった。
「きゃあぁっ!」
 悲鳴をあげる小夜子を、ルイは全身で護るようにして抱きしめた。
「大丈夫。すぐに皆がくる、もうちょっとだけ我慢して」
 優しく、労るように髪を撫でられ、小夜子は泣きそうな顔で頷いた。
 その時、海面に黒い渦が生じた。
 孔雀石を思わせる、円形の紋様が波紋のように拡がっていき、その中央から闇を纏ったような巨影が顕れた。
 幾星霜の彼方より、不眠のまなこで森羅万象を見守ってきた、旧世界の獣である。
「ウゥゥゥ……グフゥゥゥ……」
 旧世界の獣神、ミルヒギスは意味をなさぬ低い声で唸った。四肢をもち、頭部もあるが、黒い洞のような顔貌は何の凹凸もなく、小宇宙のように無数の星々煌めいてみえる。なんとも異妖にて神秘的な姿である。
 旧神はつと長い腕を伸ばした。掌に光玉を浮かべ、ルイと小夜子に狙いを定める。
 震えあがる小夜子の肩を抱き寄せ、ルイは氷の焔のような瞳でミルヒギスをめつけた。
 と、その時。
「ルイ! 小夜子!」
 黒装束に身を包んだ千尋と、戦闘服姿のヴィエルたちが駆け寄ってきた。
「小夜子を頼む」
 ルイは二人に小夜子を預けた。彼らは頷いて、V特有の秘技で、不可視の防壁をはりめぐらせる。
 小夜子には、何がなんだかわからなかった。幾つもの疑問が沸き起こったが、声をかけることがはばかれるほど、Vたちは真剣な様子だった。
 ルイは冷静であると同時に、緊張に浸されていた。女王はウルティマスが追い払ったが、旧神の召喚はなされてしまった。ウルティマスもしばらくは顕現できないだろう。自分たちでなんとかするしかない。
(僕だけでいけるか?)
 躊躇いを見透かしたのか、不定形に歪む影は、好戦的な笑みを浮かべたように見えた。
(やるしかない――)
 もうひとりの悪魔が、ここからだせと叫んでいる。普段なら制御する本能を、この時ルイは進んで解き放そうとした。
 異界の怪物ミルヒギスに打ち勝つには、悪魔の強大な力が必要だ。Vは物理的制限を殆ど零にすることができるが、ミルヒギスは時間を超越できる。高次元に住まう諸侯の一柱なのだ。
(ほら、でてこい。好きなだけ暴れろよ)
 身に潜む悪魔に、これほど感謝を捧げた日はない。背骨の骨格が歪み、双翼が飛びだそうとしている。しかし変化の最中、ルイは躊躇した。
(小夜子が見ている)
 だが迷っている暇はなかった。
「君には、見せたくなかったけれど……」
 ルイの苦しげな声を聞いて、小夜子の不安はいや増した。
「ルイ!?」
「少しの間、目を閉じていてくれる? 僕が唸ったり、吠えたりしても、全然普通のことだから、心配しないで」
 小夜子には訳が判らなかった。近づこうとするが、千尋に引き止められてしまう。
「ごめんね。いい子だから……千尋の傍にいて。大丈夫、すぐに終わらせるから」
 ルイは迷いを捨てるように半分瞑目し、瞼を持ちあげた時、銀色の瞳は炯々けいけいと輝いていた。次の瞬間、全く別の生き物に変貌し始めた。
 目を疑うような光景だった。
 彼の背から、大きな黒い翼が現れ、頭から二つの弧を描く角が現われたのだ。
(嘘――)
 衝撃を受けて固まる小夜子の目の前で、ルイは翼を広げて、周囲を威圧するような唸り声を発した。その姿は、地獄の裂け目から顕れた悪魔そのものだった。
 美しい魔性は雄々しく宙に飛びあがり、銀色の焔を旧神に向けて放った。
 重たい曇天が、まるで太陽のようにかくと燃えあがる。焔と黒い煙からなるきのこ雲が、勢いよくもくもくと吹きあがり、頭上を覆いつくした。数秒後、またしても腹にこたえる爆発音が轟いた。
「きゃぁっ!」
 小夜子は悲鳴をあげた。Vたちのおかげで、衝撃は大分緩和されていたが、それでも人間の小夜子にとって鼓膜が破れるかと思うほどの衝撃であることに違いはなかった。
 煌めく二つの超常エネルギーが、暴風に荒れ狂う波のように、烈しくぶつかりあっている。
 人智を遥かに越えた、圧倒的な光の応酬が戦闘の凄まじさを物語っていた。激戦のさなかルイが平衡を崩すと、
「ルイッ!」
 思わず小夜子は、口元を手で覆った。
「大丈夫よ、ルイは負けないわ」
 千尋が励ますようにいう。小夜子は必死に頷いた。
 負傷したかのように思われたルイは、稲妻よりも速い光線となり、小夜子の動体視力では追いかけることができなくなった。
 時折走る閃光に、目を焼かれそうになる。Vたちの膜に守られていても、渦巻く熱波が小夜子の感覚を燃え立たせた。全身からアドレナリンが噴きだして、心臓が大音量で鳴り響いている。
(ルイ、ルイ、どうか無事に戻ってきて)
 彼のことが心配で、どんなに怖いと思っても小夜子は目をそらすことができなかった。
 永劫に続くかと思われた衝突は、奇妙な荒々しい光のあとに、超新星の爆発のように収縮し、点となって消えた。