ラージアンの君とキス

2章:生きるか死ぬか - 10 -

 思考が止まりかけた瞬間、視界を黒いものが覆った。
 シュナイゼルだ。
 長いしっぽで、自分より大きなラージアンを軽々と吹っ飛ばす。巨体のラージアンは、ドンッと硬い壁に激突し、その場に崩れ落ちた。
 波紋が広がるように、空気がざわつく――。

「夏樹」

「――……」

 自分に向かって伸ばされる手を見て、尻餅をついたまま後じさった。シュナイゼルのことが、巨木を砕いたラージアンと同じくらいに怖かった。
 額の信号は、やけに濃い紫色をしている。見たことのない色だ。

 ――どういう状態なの……。

 ここへ来てから、何度目か分からない死の恐怖を感じる。
 シュナイゼルが一歩近づくのを見て、慌てて立ち上った。掌を痛めたけれど、気にしている余裕はない。家まで走ろうとしたら、足がもつれて顔面から派手に転びかけた――。

「夏樹!」

 シュナイゼルは機敏な動きで、あっという間に距離をつめると、倒れかける夏樹の腹に腕を回して支えてくれた。

「あ……」

 視界の端にしっぽが映り、ドクンッと心臓が跳ねた。
 いつも優しく夏樹を包んでくれるしっぽが、あんな凶器に変わるとは知らなかった。夏樹だったら、たったの一振りで即死するんじゃないだろうか――。
 焦って腕の中から逃げ出そうとしたら、増々抱きしめられた。

「夏樹!」

「は、離して」

「夏樹、落ち着いて」

「離して」

「だめだ」

「あ、あ……、さっきの、ラージアン、生きてる?」

「――生きている」

 呼吸を整えるうちに、いくらか落ち着いてきた。

「もう大丈夫、離して……」

「私を、怖がらないでほしい」

「うん……。ごめん」

 なかなか離してくれないので、もう一度「ごめんなさい」と謝罪した。
 どうしたのだろう……。
 シュナイゼルは夏樹を背中から抱きしめたまま、そっと夏樹の手をとり、傷ついた掌を撫でた。さっき無理やり立ち上がろうとしてついた傷だ。
 大した痛みはないが、シュナイゼルは案じるように、大きな手で夏樹の手を包み込んだ。

「これくらい、平気だよ」

「守ると約束した」

「うん。守ってくれて、ありがとう」

 ようやく、シュナイゼルに抱いた恐怖心が消えた。
 腰に回された腕を、ぎゅっと握りしめると、シュナイゼルも夏樹をぎゅっと抱きしめた。長いしっぽを使って、夏樹の身体を隙間なく引き寄せる。
 何だか照れくさくて、誤魔化すように口を開いた。

「ラージアンは、私を襲ったりしないと思ってた……」

「……彼は、襲ったわけではない。サッカーチームの選抜に、夏樹の判断が関与していると勘違いしたらしい。だから、夏樹の前で身体能力をアピールしたんだ」

「え……」

 何だ、その迷惑な勘違いは。

「誤解であることは、全個体に既に共有された。今後は、二度と同じ迷惑をかけることはない。怖い思いをさせて、すまなかった」

「シュナイゼルのせいじゃないよ」

 ようやく離してもらえた。二人の間に隙間が生まれる――ふわりと身体の自由を取り戻すと同時に、妙な寂しさを覚えた。

「……さっきの個体は一部損傷していたので、既に運ばせた。今、治療している」

「やっぱり、怪我しちゃったんだ」

「すぐに治るので、心配しないでほしい」

「うん……」

 誰も悪くはないが……、怪我をした彼が一番の被害者だろう。せめて苦しみが少ないといいのだが……。
 巨木が倒れ、壁は破壊され、まるでこの一帯だけ、地震か竜巻に襲われたかのようだ。
 損傷個所を調べるというシュナイゼルに、危ないから先に戻っていてほしいと言われ、夏樹は大人しく家に戻ることにした。

「夏樹――!」

 家の前で、ディーヴァが待っていた。夏樹を見るなり、駆け寄ってくる。

「ごめんねー、行き違いがあったみたいで。ちゃんと共有しておいたから」

「あのラージアン、怪我してるみたいだけど、大丈夫かな?」

「平気、平気ー。それにしても、あのシュナイゼルが珍しい!」

「……ちょと、恐かった」

 ディーヴァは苦笑いを浮かべた。とても人間らしい表情だ。

「まぁ、許してあげてよ……。それを言われると、彼も辛いと思うから。他のラージアンが、夏樹の気を引こうとしたから、カッとなったんだよ」

「……」

 反応に困る。今の言い方だと、まるでシュナイゼルが夏樹に気があるみたいではないか……。
 口をつぐんでいると、ディーヴァにつん、と額を突かれた。

「夏樹って、本当に興味深いね」

 何も言い返せなかった。