ラージアンの君とキス

4章:君にハグ&キス - 3 -

「夏樹……、手を痛める」

 どれだけ叩いても、シュナイゼルはびくともしなかった。乱暴に殴りつける夏樹の手をそっと掴まえると、少し赤くなった拳を、ひんやりとした口元に運んだ。

「……っ」

 シュナイゼルにそんな風に触れられるのは初めてで、夏樹は暴れるのも忘れて、自分の手と、そこに触れるシュナイゼルの口元を凝視した。
 口唇のない機械めいた口元から、微かな吐息を感じる。

「夏樹……、君を苦しめたりはしない。必ず幸せな日々に戻れると約束する」

 その言葉の裏に隠された真実を読み取り、夏樹は目を見開いた。吐息を感じた指先が、一瞬で冷えていく。

「そんな……、私の、記憶を消すの……?」

「――苦しむだけだ」

「嫌だよっ!」

「夏樹……」

「シュナイゼル、私の気持ち、全然分かってないよ! 忘れたいわけじゃない……っ、一緒にいたいんだって……ふ……っ、うぅー……っ!!」

 涙がぼろぼろと零れた。
 嗚咽が止まらなくなり、喋ることも出来なくなった。瞼に吐息が触れる。
 シュナイゼルは、夏樹の瞳から零れる涙を吸い上げた。優しく慰められても、ちっとも嬉しくない。全てが、お別れの挨拶のように思えてしまう。

「お願い、記憶を消さないで……っ」

「夏樹」

「お願い、お願いっ!」

「夏樹……」

「忘れたくないよぉ……っ」

「私も苦しい。夏樹と、離れたくない! けど、ここに残れば、君は必ず泣く」

「い、今だって……っ」

「これが最後だ。地球へ帰れば、必ず笑顔になれる。約束する」

 ――今、私を笑顔にできるのは、シュナイゼルだけだよ……。何もかも忘れて、地球に還ることが、本当に私の幸せなの? 本当にそう思うの?

 涙にぼやけた視界でシュナイゼルを見つめ、想いを伝える額の信号に触れた。指先に仄かな温もりを感じる……。

「――夏樹」

 信号に触れていた手を取られた。長いしっぽが腰に絡んで、隙間なく引き寄せられる。後頭部を大きな手で支えられて、上向かされた。
 シュナイゼルの顔が近づいてくる……、張り裂けそうな胸を抑えながら、ゆっくり瞳を閉じた。
 涙に濡れたキス。
 生まれも、姿もまるで違うけれど。この強くて、優しいラージアンのことが、誰よりも――……。

「ずっと、触れてみたいと思っていた……」

 触れるだけの口づけを交わした後、シュナイゼルはすごく優しい声で囁いた。
 硬い指で唇をかたどるようになぞられる。ドキドキし過ぎて、何も言えない……。しばらくそうした後、シュナイゼルの方から顔を寄せて、もう一度キスをした。
 ひんやりした硬質な薄い口が、夏樹の柔らかな唇を優しくむ。止まっていた涙が、またしてもポロリと零れた。

「――こ、こんなことをしておいて、記憶を消すっていうの?」

 ゆっくり顔が離れると、シュナイゼルを睨んで悪態をついた。照れ隠しだと、ばれたのかもしれない。シュナイゼルはくすりと笑った。

「私は、百年経っても忘れない」

「自分だけ、ずるいっ!!」

「夏樹は、可愛いな」

「な、何を、いきなり……」

 ふいうち過ぎて、思いっきり狼狽えてしまった。顔が熱い。真っ赤になっている自覚がある。
 身体を離そうと思ったけれど、腰を硬いしっぽに押さえつけられて逃げられなかった。両手も片手で掴まれているせいで、手で顔を隠せない……。仕方なく顔を背けた。
 背けた横顔に、吐息がかる。
 身構えていると、目元に優しくキスされた。

「夏樹。私だけの女王……、もうお休み」

 触れられた瞬間に、おかしいと感じた。どうしようもないほど、強力な眠気が襲ってくる……。

「どうか幸せに……」

 ――そんな、シュナイゼル……待ってよ、待って……、こんな風にお別れなの? 待ってよ……酷いよ……。

 声に出して、必死に、呼び止めているつもりだった。




 返事はなかった。