ラージアンの君とキス

4章:君にハグ&キス - 5 -

 九月。残暑の盛り。
 始業式を終えて、まだ熱い日差しの下を歩いていると、ふっと視界に影が差した。

『夏樹ーっ! やっほー!!』

 突然、名前を呼ばれて、飛び上がらんばかりに驚いた。
 真上を見上げると、飛行機のような、戦闘機のような、スタイリッシュなフォルムの、恐ろしく静かな乗り物が宙に浮いていた。
 夏樹はアスファルトの上に立ち尽くし、泉のように蘇る記憶の波に襲われて、くらりとよろめいた。

 ――私、知ってる! あれが何か、知ってる……!

 夏樹の身体は、見えない力に手を引かれるようにして、ふわりと宙に浮き上がった。すごく身に覚えのある既視感デジャブだ……。
 ぐんぐんと上昇し、黒塗りの小型戦闘機へ吸い込まれた。
 フォン……ッという電子音と共に、宙を浮いていた感覚は消え失せて、確かな重力が戻ってくる。気づけば、真っ青な照明に染め上げられた、不思議な空間に立っていた。

 ――ほらね――っ! やっぱり!!

 夏樹は期待を込めて、部屋中を見渡した。誰も見当たらなかったが、すぐに壁の側面が大きな口を開けて、続々と……、人間が入ってきた。

「――っ!?」

 てっきりラージアンに会えると思っていた夏樹は、驚いて目を丸くした。
 フェイスブックに映っていた、ゴージャスなブロンド集団がぞろぞろと入ってくる。先頭にいるのは、美少女に擬態しているディーヴァと、アッシュブロンドの……、

「シュナイゼル!?」

「そうだ」

 声は確かにシュナイゼルのものだ。
 でもどうして、人間に擬態しているのだろう。混乱してしまう。どこまでが現実で、どこからが偽造の記憶なのか判らない……。
 記憶の中では、目の前の美しい男は、ブラジル旅行中にお世話になったシュナイゼルだ。

 ――でもそれは、偽物の記憶だよね? だって私は、ラージアンに攫われて、ずっとコロニーで生活していて……。あれ……? そうだよね……??

「軽いリカバリ障害が起きてるね。すぐに落ち着くから大丈夫だよ。移植された記憶も、全部が嘘なわけでもないしね。彼はシュナイゼル、あっちはシド、こっちはカーツェだよ」

 ディーヴァはにこやかに告げたが、夏樹は増々混乱した。

「どうして皆、人間に擬態しているの?」

「フェイスブック、更新しようかと思って! しばらくさぼっちゃったからね」

「えっ?」

「私達も夏休みを満喫しようと思ってね。宇宙旅行してるの。その様子を掲載しようかと思って」

「いやいやいや……、宇宙人だってばれるよ!?」

 それに十分、夏休みを満喫したのではないのか。サッカーとラージアンカップに夢中だったではないか。

「よく出来たフィクションと思ってくれるよ」

「っていうか、何でいきなり……」

 相変わらず、何もかもが突然過ぎて、ちっとも展開についていけない。

「だって、会いたかったんだもん」

 ディーヴァは、拗ねたような口調で呟いた。

「……」

 どう応えればいいか判らず、ディーヴァとシュナイゼルを交互に見た。シュナイゼルの方は、見慣れなくて混乱する……。
 じわじわと理不尽さに対する、怒りが込み上げてきた。

「私の記憶を消したくせに……」

「ごめんね」

「何で、今頃迎えにくるの?」

「夏樹の電磁波が恋しくなっちゃって……」

「――夏樹」

 シュナイゼルに呼ばれて、ドキッとした。顔を上げると、鮮やかなパライバトルマリンの瞳と目が合う。

 ――なんて恰好いいんだろう……。二十歳くらいかなぁ……。

 いくら声がシュナイゼルでも、外見が違い過ぎて、同一人物とはなかなか思えない。
 隣でディーヴァが、すごく人間臭い……というか、わざとらしい仕草で「コホンッ」と咳払いをした。

「ほらほら皆、出よう! 邪魔しないの。二人にしてあげよ」

「えっ」

 動揺する夏樹と、冷静なシュナイゼルを置いて、ディーヴァ達は部屋を出て行った。余計な気を回してくれたようだ……。二人きりにされても、何を話せばいいのか判らない。

「元気そうだ」

 その一言は酷くないだろうか。

「……元気じゃなかったよ。寂しかった」

「記憶を消して済まなかった」

「消しきれて、なかったよ……」

「?」

 シュナイゼルは夏樹の記憶を消したことで、夏樹がラージアン達を忘れて、心穏やかに過ごしていると……、そう思っていたのかもしれない。でも実際は、記憶を失くしている間も、彼等のことが……シュナイゼルが恋しかった。

「だって私は、ずっとシュナイゼルのことが――っ」

 何を言おうとしているのか気がついて、カッと顔が熱くなった。不自然に口を噤むと、シュナイゼルに抱きしめられた。

「わ……、シュナイゼル、ちょっと」

「会いたかった」

 真っ直ぐな言葉に、呼吸が止まりそうになった。しかも人間の姿で抱きしめられているせいで、ひどく動揺してしまう。

「宇宙旅行に連れ出したのは、こちらの勝手だ。次に地球へ送る時は、時間軸を合わせると約束する。連れ出したあの場所、あの時間に寸分違わず送り届けよう」

 夏樹はガバッと顔を上げた。

「タイムトラベルッ! そんなこと出来るのっ!?」

「可能だ。前回は地球にデータを残す為に敢えて時間を進めたが、光速を凌駕する空間移動を可能とする我々に、時間の概念は無きに等しい」

「す、すごい! 過去にも、未来にも行けるの?」

「技術的に可能ではあるが、本来、量子重力効果における”タイムマシン”は自然界に生まれるべきではないとされている。因果律を破ることでパラドクスが生まれるからだ。銀河法廷の規約にも細かく条件が記されている。一切の自然界に影響を与えない”復元”だけが合法とされている。だから、夏樹を連れ出したその瞬間に照準を当てることしか出来ない」

「う……、でも、私がいた場所、時間に戻れるってことだよね……」

「そうだ」

 今後は突然ラージアンに攫われても、その辺りの心配はせずに済むらしい。

「ところで、ディーヴァの言ってた、フェイスブックって……あれ本気なの?」

「本気だ。既に私を含め、ラージアンの主要個体の戸籍や経歴を地球に作成済だ。これでいつでも……、夏樹に会いに行ける」

「……」

「夏樹を想えば、コロニーで共に過ごすことは出来ないが……、時間軸を元に戻して地球に帰せるのであれば、こうして時々会いに来ることを、許してくれるだろうか」

「……会いに、来てくれるの?」

「今回のことは、ディーヴァの要望を満たす形で、実のところ……私の願望を叶える為に実行に移した。夏樹の電磁波を一番恋しく思っていたのは、間違いなく私だ」

「シュナイゼル……」

「全ての危険から、例え私自身からさえも、夏樹を守ると約束した。あの誓いを上書きさせて欲しい。夏樹を手に入れたい。その為に、夏樹が泣くことがあったとしても……、傍に在りたい。その代り、私に出来ることなら、何でもしよう。誰よりも大切にすると約束する……」

 夏樹も半泣きで、腕を回してシュナイゼルに抱きついた。

「うんっ!! 会いたかったよぉ……っ」

 頬に大きな手が触れて上向かされると……、自然と唇が重なった。
 ラージアンとは違う、柔らかな唇を感じる。
 触れるだけのキスでも、夏樹はいっぱいいっぱいでドキドキしていたが……、シュナイゼルはその先に進もうとした。閉じた唇の合間を舌で優しくつつかれて、夏樹は目を見開いて顔を離した。

「あ、あのねっ、そういうのは、ちょっとまだ、早いっていうか、心の準備が……」

 しどろもどろで説明すると、無表情に近かったシュナイゼルは、ふわりと優しく微笑んだ。

「――っ!!」

 額と頬に、触れるだけの可愛いキスをされて、夏樹は羞恥のあまり絶句した。シュナイゼルは面白がっているような気がする。

「……ラージアンの姿に、戻らない?」

「夏樹が望むなら」

「どっちもシュナイゼルだけど、ちょっとだけ、戻ってくれる?」

「御意」

 シュナイゼルは音もなく、いきなりラージアンの姿に変身した。一瞬の変化に目を瞠った夏樹だが、懐かしい姿を見て、すぐに目元を和ませた。

「久しぶり。会いたかった……。好きだよ、シュナイゼル」

 あらためて告白すると、艶やかで、少しひんやりした腕でそっと抱きしめてくれた。

「私も会いたかった。夏樹。私だけの女王……」

 硬い胸に頬を押し当てて、夏樹は幸せそうに微笑んだ。
 外で様子を伺っているディーヴァ達が乗りこんでくるまで、あと五秒――。




- Fin -