ラージアンの君とキス
君を想う - 1 -
腕の中で瞳を閉じて眠る夏樹を見て、最後に一言だけ声帯を使って呟いた。
「どうか幸せに……」
感情が昂 っている自覚がある。
さっきからずっと、光互換水晶 の共有レベルに限界までロックを掛けていた。
これから、地球に夏樹を帰さなくてはいけない。
小さな夏樹の身体を抱きしめて、頬に残る涙の筋を指でなぞり、温もりを、柔らさを、声を、笑顔を……、一番深いところに記憶した。
誰にも消せない、触れさせない、絶対に上書きされない、パーソナルメモリーに焼きつける。
――夏樹。私だけの女王……。
いつまでも、夏樹を見つめていたかったが……、司令塔であるシュナイゼルが共有を遮断し続けるわけにもいかない。
名残惜しいが、光互換水晶のロックを解除すると、途端に数多の情報が回路に流れ込んできた。
”回路P十一、地球に到着、第五滑走場から襲撃型戦闘機〇〇一、配備完了。ゲートオープンまで三十セコンド……”
”回路P十三、第二十一、女王認可自治惑星から交信あり”
”――シュナイゼル、地球に着いた。夏樹を連れてきなさい”
”御意。ディーヴァ”
あらゆる情報が流れる中、最優先事項――ディーヴァの命令に即時に反応した。
夏樹は”明日”を望んだが……、最初からこうするつもりだった。
彼女が眠っている間に、何もかも終わらせる。
戦闘機に夏樹を乗せて、時を止めている間に夏樹の自宅まで送り届けた。彼女の私室のベッドの上に、静かに夏樹を寝かせる。目が覚めれば、設定された記憶の通りに、いつも通りの日常が始まるだろう……。
任務遂行完了したが、なかなか傍を離れられずにいた。
それは隣に立つディーヴァも同じようで、シュナイゼルの寂寥が移ったように表情を曇らせている。
「寂しいな……」
ディーヴァはわざわざ声帯を使って呟いた。
「本当にこれで良かったの? 夏樹の方から、一緒にいたいって言ってくれたのに」
「夏樹の幸せを優先したい」
「これが本当に夏樹の幸せかどうかなんて、判らないんじゃない?」
「……」
「シュナイゼルが光互換水晶をロックして共有を避けたのは、夏樹への想いを他のラージアンと分かち合いたくなかったからでしょう。夏樹にも夏樹だけの秘めた想いがあるんだよ。つまり、両想いなんだから、遠慮なんてしなくていいのに」
「私の想いを押しつけても、苦しめるだけだ……」
夏樹の想いは知っている。
気持ちを明かしてくれた時は、かつてないほど深く満たされた。あの感情に名前をつけるとしたら、きっと「幸せ」と呼ぶのだろう……。
それでもシュナイゼルは、ディーヴァの言うようには考えられない。
女王気質の彼女にしてみれば「我慢」などありえないのだろうけれど、司令に生まれたシュナイゼルは、元々自分よりも女王を優先する気質が強い。その対象はもはやディーヴァではなく……。
悟られることは覚悟の上で、葛藤にも似た想いを電磁波に乗せた。ディーヴァは責めたりせず、穏やかに微笑んだ。
「知ってるよ。シュナイゼルがパーソナルメモリーを大事にしていることは」
「ディーヴァを裏切るつもりはない……。ただ、私は……」
「判ってる。シュナイゼル、お前も私の可愛い子供だよ。私はラージアン全員の幸せをいつだって祈ってる。いいよ、シュナイゼルの言う通りにする。離れている間によく考えてごらん」
「もう、会うことはない」
「まぁまぁ……」
ディーヴァは取り成すように呟くと、空間を越えて戦闘機に移動した。
シュナイゼルも最後に夏樹の顔を見降ろして……、すぐにディーヴァの後に続いた。
+
時間が経つほどに、司令塔としての固定観念は揺らいだ。
夏樹を想い、穏やかな別れを選んだのに……。
パーソナルメモリーにアクセスする度に、夏樹が恋しくなり、取り戻したくなる。
これ以上は、危険かもしれない……そうは思っても、記憶の中の夏樹に会いに行くことを止められない。シュナイゼルを呼ぶ声を何度も再生してしまう。
”私も、シュナイゼルが好き”
”シュナイゼルと、一緒にいる……っ”
”嫌だ、シュナイゼルと一緒にいる! ずるいよ……っ、今更、突き放さないでよっ!!”
甘い記憶を再生する度に、独自の回路が形成されていく。全て夏樹へと繋がる、シュナイゼルだけの不可侵なパーソナルデータだ。
ラージアンとの共有を避けて、パーソナルデータを大事にするシュナイゼルを、ディーヴァは責めたりしなかった。むしろ、シュナイゼルがいよいよ折れるのを、心待ちにしているように感じる。
一方で、次期女王有力候補のリリアンは、シュナイゼルに秘密が増えることを嫌った。
”シュナイゼル――共有開示なさい。貴方はいずれ私の司令塔を務めるのですよ”
”――御意”
夏樹に繋がる全てを開示することは出来なかったが、可能な範囲でラージアンと共有した。
シュナイゼルの心を占める、夏樹の笑顔、泣いている顔、シュナイゼルを呼ぶ声……。
”――ナツキはもう、ここにはいません”
夏樹を思い浮かべるほどに、リリアンは面白くなさそうにシュナイゼルを責めた。
”ラージアンの為に、尽くしてください”
――判っている……。夏樹はもう、コロニーにいないのだ。会うことはない……。
コロニーを守り、銀河を見据えて戦闘を指揮していても、ふとした瞬間に宇宙の果てに浮かぶ地球のことを考えてしまう。
今頃、夏樹は何をしているのだろう……。
幸いにも、彼女が身を置く環境はかなり安全と言えるが、それでも彼女の優しい電磁波を捉えられないと不安になる。
コロニーの時のように、いつでも傍で守れるわけではないのだ。
夏樹の安否が気になり、たまらなく不安に駆られることもあった。共有を切り忘れたせいで、動揺したラージアンが太陽系銀河に舵を取ろうとしたことも何度かあったほどだ。
――たとえ夏樹が、数百億光年の彼方にいたとしても、我々ラージアンなら、会いに行こうと思えば、いつでも行ける……。いや、だめだ。会いに行くわけには……。
会いに行ったら、きっともう二度と離れられない……。
そうなることが怖かった。
夏樹の幸せよりも、己の欲望を優先してしまいそうで恐ろしい。司令の立場として許せない。誇り高いラージアンの司令塔にありながら、守るべき女王を手中に収めようとしている……。
葛藤はしばらく続いたが、シドに言われたある言葉によって、本心に気付かされた。
”夏樹の幸せを、他の者に委ねるのか。同胞の男が夏樹を伴侶にすることもありえるが、それでいいのか”
唖然とした。
まったくもって、良くなかった。
夏樹はシュナイゼルだけの女王だ。隠しようのない独占欲を自覚した瞬間、ついに司令塔としての固定観念を自ら折った。
”――ディーヴァ、次の行路は地球にしよう”
それだけで全てを察したディーヴァは喝采を上げた。
彼女の喜びは全ラージアンに伝播 し、コロニーの同胞達は歓喜した。
結局ディーヴァの言う通りだった。遠慮なんて、するだけ無駄だったのだ。
いっそ誰のものにもならなければ我慢も出来たが、そうでないのなら、例え己が定めた女王でも手に入れたい。
”――シュナイゼル、ナツキを選ばないで……”
女王候補としてではなく、リリアン個体の思念を受信して、初めて彼女の気持ちを知ったけれど、その手を取ることは出来なかった。
”――私の女王は、夏樹だ。命を賭してラージアンの繁栄を守ろう。しかし、心は夏樹に捧げたい……”
次の瞬間、リリアンは光互換水晶にロックをかけて、ラージアンの共有を遮断した。
例え大切な女王候補を傷つけても、自らに課した誓いを破ることになっても――夏樹を手に入れたい。
全ての危険から、シュナイゼル自身からさえも、夏樹を守ると約束した。あの誓いに嘘はなかった。
けれど……。
手にすると決めたからには、例え夏樹が泣いたとしても奪ってみせる。その代わり、誰よりも大切にすると約束しよう。誓いを上書きさせて欲しい。
”どうか、いつまでも傍にいて――”
かくして、母艦 は太陽系銀河を再び訪れる――。
「どうか幸せに……」
感情が
さっきからずっと、
これから、地球に夏樹を帰さなくてはいけない。
小さな夏樹の身体を抱きしめて、頬に残る涙の筋を指でなぞり、温もりを、柔らさを、声を、笑顔を……、一番深いところに記憶した。
誰にも消せない、触れさせない、絶対に上書きされない、パーソナルメモリーに焼きつける。
――夏樹。私だけの女王……。
いつまでも、夏樹を見つめていたかったが……、司令塔であるシュナイゼルが共有を遮断し続けるわけにもいかない。
名残惜しいが、光互換水晶のロックを解除すると、途端に数多の情報が回路に流れ込んできた。
”回路P十一、地球に到着、第五滑走場から襲撃型戦闘機〇〇一、配備完了。ゲートオープンまで三十セコンド……”
”回路P十三、第二十一、女王認可自治惑星から交信あり”
”――シュナイゼル、地球に着いた。夏樹を連れてきなさい”
”御意。ディーヴァ”
あらゆる情報が流れる中、最優先事項――ディーヴァの命令に即時に反応した。
夏樹は”明日”を望んだが……、最初からこうするつもりだった。
彼女が眠っている間に、何もかも終わらせる。
戦闘機に夏樹を乗せて、時を止めている間に夏樹の自宅まで送り届けた。彼女の私室のベッドの上に、静かに夏樹を寝かせる。目が覚めれば、設定された記憶の通りに、いつも通りの日常が始まるだろう……。
任務遂行完了したが、なかなか傍を離れられずにいた。
それは隣に立つディーヴァも同じようで、シュナイゼルの寂寥が移ったように表情を曇らせている。
「寂しいな……」
ディーヴァはわざわざ声帯を使って呟いた。
「本当にこれで良かったの? 夏樹の方から、一緒にいたいって言ってくれたのに」
「夏樹の幸せを優先したい」
「これが本当に夏樹の幸せかどうかなんて、判らないんじゃない?」
「……」
「シュナイゼルが光互換水晶をロックして共有を避けたのは、夏樹への想いを他のラージアンと分かち合いたくなかったからでしょう。夏樹にも夏樹だけの秘めた想いがあるんだよ。つまり、両想いなんだから、遠慮なんてしなくていいのに」
「私の想いを押しつけても、苦しめるだけだ……」
夏樹の想いは知っている。
気持ちを明かしてくれた時は、かつてないほど深く満たされた。あの感情に名前をつけるとしたら、きっと「幸せ」と呼ぶのだろう……。
それでもシュナイゼルは、ディーヴァの言うようには考えられない。
女王気質の彼女にしてみれば「我慢」などありえないのだろうけれど、司令に生まれたシュナイゼルは、元々自分よりも女王を優先する気質が強い。その対象はもはやディーヴァではなく……。
悟られることは覚悟の上で、葛藤にも似た想いを電磁波に乗せた。ディーヴァは責めたりせず、穏やかに微笑んだ。
「知ってるよ。シュナイゼルがパーソナルメモリーを大事にしていることは」
「ディーヴァを裏切るつもりはない……。ただ、私は……」
「判ってる。シュナイゼル、お前も私の可愛い子供だよ。私はラージアン全員の幸せをいつだって祈ってる。いいよ、シュナイゼルの言う通りにする。離れている間によく考えてごらん」
「もう、会うことはない」
「まぁまぁ……」
ディーヴァは取り成すように呟くと、空間を越えて戦闘機に移動した。
シュナイゼルも最後に夏樹の顔を見降ろして……、すぐにディーヴァの後に続いた。
+
時間が経つほどに、司令塔としての固定観念は揺らいだ。
夏樹を想い、穏やかな別れを選んだのに……。
パーソナルメモリーにアクセスする度に、夏樹が恋しくなり、取り戻したくなる。
これ以上は、危険かもしれない……そうは思っても、記憶の中の夏樹に会いに行くことを止められない。シュナイゼルを呼ぶ声を何度も再生してしまう。
”私も、シュナイゼルが好き”
”シュナイゼルと、一緒にいる……っ”
”嫌だ、シュナイゼルと一緒にいる! ずるいよ……っ、今更、突き放さないでよっ!!”
甘い記憶を再生する度に、独自の回路が形成されていく。全て夏樹へと繋がる、シュナイゼルだけの不可侵なパーソナルデータだ。
ラージアンとの共有を避けて、パーソナルデータを大事にするシュナイゼルを、ディーヴァは責めたりしなかった。むしろ、シュナイゼルがいよいよ折れるのを、心待ちにしているように感じる。
一方で、次期女王有力候補のリリアンは、シュナイゼルに秘密が増えることを嫌った。
”シュナイゼル――共有開示なさい。貴方はいずれ私の司令塔を務めるのですよ”
”――御意”
夏樹に繋がる全てを開示することは出来なかったが、可能な範囲でラージアンと共有した。
シュナイゼルの心を占める、夏樹の笑顔、泣いている顔、シュナイゼルを呼ぶ声……。
”――ナツキはもう、ここにはいません”
夏樹を思い浮かべるほどに、リリアンは面白くなさそうにシュナイゼルを責めた。
”ラージアンの為に、尽くしてください”
――判っている……。夏樹はもう、コロニーにいないのだ。会うことはない……。
コロニーを守り、銀河を見据えて戦闘を指揮していても、ふとした瞬間に宇宙の果てに浮かぶ地球のことを考えてしまう。
今頃、夏樹は何をしているのだろう……。
幸いにも、彼女が身を置く環境はかなり安全と言えるが、それでも彼女の優しい電磁波を捉えられないと不安になる。
コロニーの時のように、いつでも傍で守れるわけではないのだ。
夏樹の安否が気になり、たまらなく不安に駆られることもあった。共有を切り忘れたせいで、動揺したラージアンが太陽系銀河に舵を取ろうとしたことも何度かあったほどだ。
――たとえ夏樹が、数百億光年の彼方にいたとしても、我々ラージアンなら、会いに行こうと思えば、いつでも行ける……。いや、だめだ。会いに行くわけには……。
会いに行ったら、きっともう二度と離れられない……。
そうなることが怖かった。
夏樹の幸せよりも、己の欲望を優先してしまいそうで恐ろしい。司令の立場として許せない。誇り高いラージアンの司令塔にありながら、守るべき女王を手中に収めようとしている……。
葛藤はしばらく続いたが、シドに言われたある言葉によって、本心に気付かされた。
”夏樹の幸せを、他の者に委ねるのか。同胞の男が夏樹を伴侶にすることもありえるが、それでいいのか”
唖然とした。
まったくもって、良くなかった。
夏樹はシュナイゼルだけの女王だ。隠しようのない独占欲を自覚した瞬間、ついに司令塔としての固定観念を自ら折った。
”――ディーヴァ、次の行路は地球にしよう”
それだけで全てを察したディーヴァは喝采を上げた。
彼女の喜びは全ラージアンに
結局ディーヴァの言う通りだった。遠慮なんて、するだけ無駄だったのだ。
いっそ誰のものにもならなければ我慢も出来たが、そうでないのなら、例え己が定めた女王でも手に入れたい。
”――シュナイゼル、ナツキを選ばないで……”
女王候補としてではなく、リリアン個体の思念を受信して、初めて彼女の気持ちを知ったけれど、その手を取ることは出来なかった。
”――私の女王は、夏樹だ。命を賭してラージアンの繁栄を守ろう。しかし、心は夏樹に捧げたい……”
次の瞬間、リリアンは光互換水晶にロックをかけて、ラージアンの共有を遮断した。
例え大切な女王候補を傷つけても、自らに課した誓いを破ることになっても――夏樹を手に入れたい。
全ての危険から、シュナイゼル自身からさえも、夏樹を守ると約束した。あの誓いに嘘はなかった。
けれど……。
手にすると決めたからには、例え夏樹が泣いたとしても奪ってみせる。その代わり、誰よりも大切にすると約束しよう。誓いを上書きさせて欲しい。
”どうか、いつまでも傍にいて――”
かくして、