異海の霊火
3章:暗鬱な喚び声 - 7 -
愛海はシドに呼ばれて甲板にやってきた。
滑り止めの砂が蒔かれた甲板には、野戦病院よろしく、簡易天幕が設置されて電球が垂らされていた。
金品は昇降口から船内に運びいれのさなか、頭部の潰れた亡骸 を、船員が億劫そうに引きずっている。どうするのかちょっと立ち止まって見ていると、無造作に海へ放り投げようとしているのでぎょっとなった。
「マナミ! こっちだ」
ぱっと振り向くと、シドが天幕から顔をだして、手をあげていた。
「すみません! 遅くなりました」
愛海は慌てて駆け寄った。
「いや、きてくれて助かったよ」
「はい」
天幕のしたでは、ホープがぐったりした様子で椅子に固定されていた。
「何があったんですか?」
「味方に散弾銃で撃たれたのだよ。すまないが、穿孔 手術の手伝いを頼むよ」
「えっ」
「鉛 弾は頭蓋を貫通しているが、骨の破片を取り除いて、止血しなければならない」
暫時 の沈黙の後、愛海は命令に従う。胸に湧いた不安や恐怖を強引に捻じ伏せた。
「麻酔はもう打ってある。といっても意識はないがね。このあたりの頭髪を適当に剃ってくれたまえ」
折りたたみ式の短剣を渡されて、愛海はぎこちなく頷いた。
――救う価値が、この男にあるだろうか?
陰険陰湿な冷嘲屋の食人鬼だ。おかげさまで厨房の仕事は地獄だった。殺したいほど憎かった男が、今は全く無防備状態で、椅子に固定されている。手には短剣があり、殺すなら今しかないのだが、皮膚を傷つけぬよう慎重に髪を剃っている己ときたら意味不明だ。
「ありがとう、十分だ。すまないが、患部が見えるように照明を調整してくれるかね」
「はい、シド先生」
愛海は細長い照明器具に手を伸ばした。真鍮製で氷みたいな冷たさだ。先端は漏斗 型で、角度を調節できる。
露わになった頭皮に光を当てると、シドは手際よく器具を固定し、片眼鏡 の奥から、額から頭頂部に貫通している弾痕を覗きこんだ。
彼が正確無比な手腕を発揮して破片をとりのぞく作業を、愛海はどこか淡々と眺めていた。ホープのような糞野郎でも血は赤いんだな、などと思う。
「やはり損傷が深いね。人工細胞を移植すれば、心臓は動くだろうけれど、深刻な後遺症が残るかもしれない」
シドは全く深刻さを感じさせない、穏やかな調子で告げた。
頭蓋に穿 たれた孔と格闘しているのだから、相当な集中力を要するはずだが、がやがやと煩い甲板でも彼は落ち着いている。
そう、甲板は今ごった返している。
ちょっとは気を使ってほしいものだが、戦利品を肴 に葡萄酒で酔いしれる船員が酔歌 を放っていたり、“蝋人形”による“長包丁”の外科手術を見守る面々が、うわぁ、などといちいち悲鳴をあげているのだ。怖いなら見なければいいのに、おっかなびっくり興味津々で眺めているのだから不思議だ。
愛海は寒さに耐えながら、照明器具の角度を細やかに調整していた。このまま立ち尽くしていたら凍え死にそうだが、シドはすでに止血を終えて縫合に入っている。
医者を心から尊敬する。シドが悪辣な殺人鬼なのだとしても、今この瞬間は偉大なる熾天使だ。神の御業で、極めて複雑な技術と細心の注意をもって、正確に脳を切り開き、治療を施しているのだから。ホープにとってはまさしく救世主だろう。
手術が終わると、シドは愛海を労 った。
「助かったよ、マナミ。どうもありがとう」
愛海は感極まって、二度、三度、瞬きをした。
「先生こそ、お疲れ様でした。僕は本当に、先生を尊敬しています」
愛海が目を潤ませていうと、彼は穏やかにほほえんだ。不意にあたりが静かになり、不思議に思って振り向くと、ジンシンスが天幕の外に立っていた。
「終わったか?」
「はい、ちょうど今……どうかされましたか?」
「迎えにきた」
彼は一瞬、親しみのこもった笑みを愛海に向けた。あまりに魅力的だったので、目の錯覚かと疑ったくらいだ。
あっという間に冷静な表情に戻ったジンシンスは、後片付けをしているシドに言葉をかけると、愛海の肩を抱いて艫 のほうへ歩き始めた。
「……あの、“双 つ貴石”は見つかりましたか?」
周囲にひとがいないことを確認してから、愛海は小声で訊ねた。
「残念ながら見つからなかった。ひとまず戦艦は繋留 したから、これから調査してみるさ」
愛海は肩を落とした。
「そうですか……」
絶望的に暗い声がでた。判っていたことだが、混淆 海域を脱するのは容易ではない。
突然、ジンシンスは愛海の両脇に手をいれて躰をもちあげ、片腕で抱きあげた。
「船長?」
「元気をだせ。諦めるには早い、明日もすべきことは多いぞ」
「はい」
愛海は顔を赤らめた。彼の腕に抱かれた瞬間、不安や恐れが消滅したような気がした。ひんやりとした無毛の青い肌は、天鵞絨 のようになめらかで、淡い燐光を放っている。
思いがけず彼の美しさに心を奪われていると、いつの間にか船長室にいた。腕からおろされたとき、愛海はもう落ちこんでいなかった。
「あの、お怪我はありませんか?」
「ああ」
怪我がないか素早く一瞥し、愛海は肩から力を抜いた。
「良かったぁ……」
思わず手を伸ばして、ジンシンスの腕を撫でる。広漠とした海に勃然と戦艦が顕れてから、ずっと不安だったのだ。
またしても胸の奥に奇妙な疼きを感じて、ジンシンスはぎくりとした。小さな指先を優しく掴んではがしながら、軽い自己嫌悪に浸 る。
(この間からおかしいな俺は……一体どうしたというんだ)
「海底人は頑丈なんだ。そう簡単にやられたりしないさ」
ジンシンスは椅子に腰をおろすと、深く長い息をついた。
「しかし、少々くたびれたな」
「食事をご用意いたしましょうか?」
「いや、出歩くな。ここにいろ」
手首を掴まれて、愛海はどきっとする。ジンシンスを見下ろす格好になり、あることに気がついて自然と笑みがこぼれた。
「どうした?」
「髪に木屑がついています」
そっと指が伸ばされ、海水青色 の髪にもぐりこんだ。その瞬間、ジンシンスの背筋に得体のしれぬ震えが疾 った。
「ほら、とれましたよ」
愛海は瞳を輝かせ、たのしげにいう。気がつけばジンシンスは、愛海の腕を掴んで己の膝に乗せていた。
「え?」
「え?」
お互いに奇妙な顔をしていた。
「あのっ、何を?」
「愛海こそ、何をしている」
愛海は真っ赤になり、慌てて膝からおりようともぞもぞ動き、よく判らぬ刺激をもってジンシンスを動揺させた。彼はきつく愛海を抱きしめ、動きを封じた。
「やめなさい」
「船長こそ!?」
ふたりは同時に動きを止めた。ゆっくりジンシンスが腕を離すと、愛海はようやく膝からおりることができた。そして一歩離れて彼を見て、あることに気がついた。
「あれ? 船長?」
「今度は何だ」
「いえ、その……船長の躰の紋様が光っています」
顔や肩の入れ墨のような文様が、淡い銀色に輝いている。その神秘的な姿に愛海は魅入った。
「ああ……放っておけばそのうちおさまるから、気にしないでくれ」
己の紋様が発光していることに、今気がついたかのような口調だった。
「そうなんですか……」
愛海はものめずらしげにジンシンスを見つめたまま、歩み寄った。身を屈めて、顔を近づける。
「おい……」
ジンシンスは戸惑ったように声をかけた。
「触ってみてもいいですか?」
「は?」
驚くジンシンスを見て、愛海は紅くなった。
「ごめんなさい、なんでもありません」
「いや……別に構わない」
「……じゃぁ、失礼します」
愛海はそっと触れてみた。触れると、光の濃淡と色味が変化した。かくも神秘的な輝きに心を奪われずにはいられない。この美しい男 は、きっと海神の眷属なのだろう。姿は人に似ているが、尊い上位次元の存在に感じられた。
「不思議……すごく綺麗」
ジンシンスは思わず愛海の手を掴んだ。
「船長?」
唐突に、寝椅子に押し倒されて、愛海は目を瞬いた。叱られるのかと思ったが、熱を帯びた真剣な眼差しにたじろいだ。大きな手に頬を無でられ、正体不明の焦燥感に襲われる。くちびるのくぼみを親指で押された瞬間、めまいを覚えた。
今すぐここを去るべきだ。理性はそう囁いているが、躰はすくみあがったように動かない。腕に抱かれながら、ジンシンスの熱が服越しに肌を焼く。どこまでも続いていく海のように碧い瞳が、暗く翳り、焔が揺れているように見えた。
彼は、かすかにあけたくちびるを、愛海のくちびるに押しつけた。
その瞬間、愛海は躰に電流が流れた気がした。初めてのキス――混乱しながらも胸がときめき、幸福感が押し酔せる。生まれて初めて知る、痺れるような快感だ。未知の感覚をもっと味わいたくなる。
腕のなかでじっとしていた愛海だが、少しだけ強くくちびるが押しつけられると、息が乱れた。
「……赤くなってかわいいな、お前は……」
ぞくっとするほど艶めいた微笑が、すぐ近くにある。夏を思わせる甘い香り、吐息の温度を感じられるほどに。
何もいえない愛海に、ジンシンスがふたたびくちびるを塞いでくる。力なく肩を押すと、宥めるように、くちびるをそっと吸われた。
「ん……っ」
小さな声が漏れてしまい、愛海は心臓が破裂するんじゃないかと思った。
もうこれ以上は無理だと思い、顔を背けた。ささやかな拒絶だったが、ジンシンスは身を引いた。
「あの……その、ごめんなさい」
声が震えていた。愛海は混乱の極 にいたが、ジンシンスも動揺を隠し切れなかった。加虐心を煽られながら、小動物をいたぶっているような罪悪感に襲われていた。
「……そうだよな。悪い、誘われるているのかと勘違いした」
「えっ!? ……違います!」
「悪かった。だがふたりきりで、海底人を相手に紋様を綺麗だなんて褒めたら、何をされても文句はいえないぞ」
「すみません、わっ、僕、そんなつもりじゃなくて」
「判っている。だが、これに懲りろよ。俺は確かに庇護者だが……お前は、自分で思っているほど子供じゃないんだ」
「はい……」
しゅんとなる愛海を見て、ジンシンスは困ったように笑った。
「怒ったわけじゃないぞ」
ジンシンスは慈しむように黒髪を撫でると、しばらくそこで手をさまよわせた。大きなてのひらが愛海の頬を包みこみ、指先で耳朶を愛撫する。
夕陽のように紅く染まる愛海から、名残惜しそうに手は引いていった。それから彼は、深く、長いためいきをついた。
「……はぁ、疲れているのかな……」
抑揚のない声には、確かに疲労が滲んでいた。
「そうですよね。お疲れ様です、ゆっくり休んでください」
その場を離れようとした愛海の手首を、ジンシンスは掴んだ。
(えっ?)
愛海が顔をあげると、彼は目を細めて愛海を見ていた。
目の底に熱情があるように思えて、愛海は戸惑う。視線を直視できずに、顔を俯けてしまう。
「……愛海も、ゆっくり休め」
「はいっ、そうさせて頂きます」
解放された手首を、愛海はもう一方の手で掴んだ。そのまま逃げるようにして衣装部屋に飛びこんだ。
ひとりになっても、動揺は静まらなかった。心臓がどきどきして、くちびるに甘いキスの余韻がのこっている。
(ジンシンスさん、もしかして少しは私のこと……)
淡い期待が胸に兆 したが、すぐに打ち消した。彼のような男 が、愛海に本気になるはずがない。第一、向こうは愛海を少年だと思っているのだ。さっきのキスだって、愛海をかわいいと思ってしたわけじゃない。きっとゴッサムのことがあったから、隙を見せるなと注意したかっただけなのだ。
己にいい聞かせながら、落胆が胸に射すのを感じた。
どうすればいいのだろう? 自制したいのに、彼の言動にいちいち一喜一憂してしまう。彼は愛海の偉大な庇護者だから、尊敬しているし、頼りにしている。それで満足すべきなのだ。
毛布のなかで、愛海は薄い眉を寄せた。
恋の感情に浮かれている場合ではない――ゴッサムを強姦した犯人は、クラムであることを早く告げなくてはいけない。
それに伴う様々な問題が胸に渦巻いて……どっと疲労が押し寄せた。
どうせ寝て起きれば朝だ。起きたら、厭でも気まずい瞬間に直面しなければならない。それが人生ってものだ。
あくびが漏れる。束の間の安らぎを求めて、寝に就 いた。
滑り止めの砂が蒔かれた甲板には、野戦病院よろしく、簡易天幕が設置されて電球が垂らされていた。
金品は昇降口から船内に運びいれのさなか、頭部の潰れた
「マナミ! こっちだ」
ぱっと振り向くと、シドが天幕から顔をだして、手をあげていた。
「すみません! 遅くなりました」
愛海は慌てて駆け寄った。
「いや、きてくれて助かったよ」
「はい」
天幕のしたでは、ホープがぐったりした様子で椅子に固定されていた。
「何があったんですか?」
「味方に散弾銃で撃たれたのだよ。すまないが、
「えっ」
「
「麻酔はもう打ってある。といっても意識はないがね。このあたりの頭髪を適当に剃ってくれたまえ」
折りたたみ式の短剣を渡されて、愛海はぎこちなく頷いた。
――救う価値が、この男にあるだろうか?
陰険陰湿な冷嘲屋の食人鬼だ。おかげさまで厨房の仕事は地獄だった。殺したいほど憎かった男が、今は全く無防備状態で、椅子に固定されている。手には短剣があり、殺すなら今しかないのだが、皮膚を傷つけぬよう慎重に髪を剃っている己ときたら意味不明だ。
「ありがとう、十分だ。すまないが、患部が見えるように照明を調整してくれるかね」
「はい、シド先生」
愛海は細長い照明器具に手を伸ばした。真鍮製で氷みたいな冷たさだ。先端は
露わになった頭皮に光を当てると、シドは手際よく器具を固定し、
彼が正確無比な手腕を発揮して破片をとりのぞく作業を、愛海はどこか淡々と眺めていた。ホープのような糞野郎でも血は赤いんだな、などと思う。
「やはり損傷が深いね。人工細胞を移植すれば、心臓は動くだろうけれど、深刻な後遺症が残るかもしれない」
シドは全く深刻さを感じさせない、穏やかな調子で告げた。
頭蓋に
そう、甲板は今ごった返している。
ちょっとは気を使ってほしいものだが、戦利品を
愛海は寒さに耐えながら、照明器具の角度を細やかに調整していた。このまま立ち尽くしていたら凍え死にそうだが、シドはすでに止血を終えて縫合に入っている。
医者を心から尊敬する。シドが悪辣な殺人鬼なのだとしても、今この瞬間は偉大なる熾天使だ。神の御業で、極めて複雑な技術と細心の注意をもって、正確に脳を切り開き、治療を施しているのだから。ホープにとってはまさしく救世主だろう。
手術が終わると、シドは愛海を
「助かったよ、マナミ。どうもありがとう」
愛海は感極まって、二度、三度、瞬きをした。
「先生こそ、お疲れ様でした。僕は本当に、先生を尊敬しています」
愛海が目を潤ませていうと、彼は穏やかにほほえんだ。不意にあたりが静かになり、不思議に思って振り向くと、ジンシンスが天幕の外に立っていた。
「終わったか?」
「はい、ちょうど今……どうかされましたか?」
「迎えにきた」
彼は一瞬、親しみのこもった笑みを愛海に向けた。あまりに魅力的だったので、目の錯覚かと疑ったくらいだ。
あっという間に冷静な表情に戻ったジンシンスは、後片付けをしているシドに言葉をかけると、愛海の肩を抱いて
「……あの、“
周囲にひとがいないことを確認してから、愛海は小声で訊ねた。
「残念ながら見つからなかった。ひとまず戦艦は
愛海は肩を落とした。
「そうですか……」
絶望的に暗い声がでた。判っていたことだが、
突然、ジンシンスは愛海の両脇に手をいれて躰をもちあげ、片腕で抱きあげた。
「船長?」
「元気をだせ。諦めるには早い、明日もすべきことは多いぞ」
「はい」
愛海は顔を赤らめた。彼の腕に抱かれた瞬間、不安や恐れが消滅したような気がした。ひんやりとした無毛の青い肌は、
思いがけず彼の美しさに心を奪われていると、いつの間にか船長室にいた。腕からおろされたとき、愛海はもう落ちこんでいなかった。
「あの、お怪我はありませんか?」
「ああ」
怪我がないか素早く一瞥し、愛海は肩から力を抜いた。
「良かったぁ……」
思わず手を伸ばして、ジンシンスの腕を撫でる。広漠とした海に勃然と戦艦が顕れてから、ずっと不安だったのだ。
またしても胸の奥に奇妙な疼きを感じて、ジンシンスはぎくりとした。小さな指先を優しく掴んではがしながら、軽い自己嫌悪に
(この間からおかしいな俺は……一体どうしたというんだ)
「海底人は頑丈なんだ。そう簡単にやられたりしないさ」
ジンシンスは椅子に腰をおろすと、深く長い息をついた。
「しかし、少々くたびれたな」
「食事をご用意いたしましょうか?」
「いや、出歩くな。ここにいろ」
手首を掴まれて、愛海はどきっとする。ジンシンスを見下ろす格好になり、あることに気がついて自然と笑みがこぼれた。
「どうした?」
「髪に木屑がついています」
そっと指が伸ばされ、
「ほら、とれましたよ」
愛海は瞳を輝かせ、たのしげにいう。気がつけばジンシンスは、愛海の腕を掴んで己の膝に乗せていた。
「え?」
「え?」
お互いに奇妙な顔をしていた。
「あのっ、何を?」
「愛海こそ、何をしている」
愛海は真っ赤になり、慌てて膝からおりようともぞもぞ動き、よく判らぬ刺激をもってジンシンスを動揺させた。彼はきつく愛海を抱きしめ、動きを封じた。
「やめなさい」
「船長こそ!?」
ふたりは同時に動きを止めた。ゆっくりジンシンスが腕を離すと、愛海はようやく膝からおりることができた。そして一歩離れて彼を見て、あることに気がついた。
「あれ? 船長?」
「今度は何だ」
「いえ、その……船長の躰の紋様が光っています」
顔や肩の入れ墨のような文様が、淡い銀色に輝いている。その神秘的な姿に愛海は魅入った。
「ああ……放っておけばそのうちおさまるから、気にしないでくれ」
己の紋様が発光していることに、今気がついたかのような口調だった。
「そうなんですか……」
愛海はものめずらしげにジンシンスを見つめたまま、歩み寄った。身を屈めて、顔を近づける。
「おい……」
ジンシンスは戸惑ったように声をかけた。
「触ってみてもいいですか?」
「は?」
驚くジンシンスを見て、愛海は紅くなった。
「ごめんなさい、なんでもありません」
「いや……別に構わない」
「……じゃぁ、失礼します」
愛海はそっと触れてみた。触れると、光の濃淡と色味が変化した。かくも神秘的な輝きに心を奪われずにはいられない。この美しい
「不思議……すごく綺麗」
ジンシンスは思わず愛海の手を掴んだ。
「船長?」
唐突に、寝椅子に押し倒されて、愛海は目を瞬いた。叱られるのかと思ったが、熱を帯びた真剣な眼差しにたじろいだ。大きな手に頬を無でられ、正体不明の焦燥感に襲われる。くちびるのくぼみを親指で押された瞬間、めまいを覚えた。
今すぐここを去るべきだ。理性はそう囁いているが、躰はすくみあがったように動かない。腕に抱かれながら、ジンシンスの熱が服越しに肌を焼く。どこまでも続いていく海のように碧い瞳が、暗く翳り、焔が揺れているように見えた。
彼は、かすかにあけたくちびるを、愛海のくちびるに押しつけた。
その瞬間、愛海は躰に電流が流れた気がした。初めてのキス――混乱しながらも胸がときめき、幸福感が押し酔せる。生まれて初めて知る、痺れるような快感だ。未知の感覚をもっと味わいたくなる。
腕のなかでじっとしていた愛海だが、少しだけ強くくちびるが押しつけられると、息が乱れた。
「……赤くなってかわいいな、お前は……」
ぞくっとするほど艶めいた微笑が、すぐ近くにある。夏を思わせる甘い香り、吐息の温度を感じられるほどに。
何もいえない愛海に、ジンシンスがふたたびくちびるを塞いでくる。力なく肩を押すと、宥めるように、くちびるをそっと吸われた。
「ん……っ」
小さな声が漏れてしまい、愛海は心臓が破裂するんじゃないかと思った。
もうこれ以上は無理だと思い、顔を背けた。ささやかな拒絶だったが、ジンシンスは身を引いた。
「あの……その、ごめんなさい」
声が震えていた。愛海は混乱の
「……そうだよな。悪い、誘われるているのかと勘違いした」
「えっ!? ……違います!」
「悪かった。だがふたりきりで、海底人を相手に紋様を綺麗だなんて褒めたら、何をされても文句はいえないぞ」
「すみません、わっ、僕、そんなつもりじゃなくて」
「判っている。だが、これに懲りろよ。俺は確かに庇護者だが……お前は、自分で思っているほど子供じゃないんだ」
「はい……」
しゅんとなる愛海を見て、ジンシンスは困ったように笑った。
「怒ったわけじゃないぞ」
ジンシンスは慈しむように黒髪を撫でると、しばらくそこで手をさまよわせた。大きなてのひらが愛海の頬を包みこみ、指先で耳朶を愛撫する。
夕陽のように紅く染まる愛海から、名残惜しそうに手は引いていった。それから彼は、深く、長いためいきをついた。
「……はぁ、疲れているのかな……」
抑揚のない声には、確かに疲労が滲んでいた。
「そうですよね。お疲れ様です、ゆっくり休んでください」
その場を離れようとした愛海の手首を、ジンシンスは掴んだ。
(えっ?)
愛海が顔をあげると、彼は目を細めて愛海を見ていた。
目の底に熱情があるように思えて、愛海は戸惑う。視線を直視できずに、顔を俯けてしまう。
「……愛海も、ゆっくり休め」
「はいっ、そうさせて頂きます」
解放された手首を、愛海はもう一方の手で掴んだ。そのまま逃げるようにして衣装部屋に飛びこんだ。
ひとりになっても、動揺は静まらなかった。心臓がどきどきして、くちびるに甘いキスの余韻がのこっている。
(ジンシンスさん、もしかして少しは私のこと……)
淡い期待が胸に
己にいい聞かせながら、落胆が胸に射すのを感じた。
どうすればいいのだろう? 自制したいのに、彼の言動にいちいち一喜一憂してしまう。彼は愛海の偉大な庇護者だから、尊敬しているし、頼りにしている。それで満足すべきなのだ。
毛布のなかで、愛海は薄い眉を寄せた。
恋の感情に浮かれている場合ではない――ゴッサムを強姦した犯人は、クラムであることを早く告げなくてはいけない。
それに伴う様々な問題が胸に渦巻いて……どっと疲労が押し寄せた。
どうせ寝て起きれば朝だ。起きたら、厭でも気まずい瞬間に直面しなければならない。それが人生ってものだ。
あくびが漏れる。束の間の安らぎを求めて、寝に