3EMI - 転生した平凡令嬢が好感度マイナスの義兄から溺愛されるまで

1章:マイナスって0より酷い - 3 -

 翌朝も、おとなしくお世話されるエイミーに、マイヤ夫人もメイドも少し驚いた様子だった。
 今日は、エイミー定番のブラック・ゴシックスタイルだ。フリルのついた白いブラウスにハイウエストの漆黒のフレアスカート。髪はツインテールで毛先を巻いて、エミリオにもらったリボンを結んでいる。
 身支度を整えたエイミーは、一階の応接室に入った。ここは身内やごく親しい人たちと食事をとる部屋で、日当たりも風通しも良い。天井まで届く大窓から、レースにされた朝陽が優しく床を照らしている。
 磨きあげられたかし の長テーブルには、エミリオが既に着席していた。漆黒のブラウスと同色のリボンタイ、銀糸の刺繍を施された灰色のベストと細見のスラックス姿の貴公子は、今朝も目の醒めるような絶世の美少年だ。
 黒が多めの服装は、エイミーのゴシックスタイルと被るが、本人は特に意識していないだろう。
「お早う」
 笑みかけると、エミリオはお早うと返してくれた。少し迷ってから、エイミーはエミリオと斜め対面の二つ離れた席に着席した。微妙に離れているが、いつもは一番離れた席に座るので、これでも攻めた方だ。
 めずらしくエミリオがエイミーを見ていた。昨日、エミリオからもらったリボンを髪に結んでいることに気がついたのだろう。
 銀髪の頭上に光が集まるのを見て、エイミーは息をつめた。数字が顕れるかと期待したが、エミリオの迷う心を映したように、光は霧散してしまった。
「あの……」
 エイミーは、あらためてプレゼントの御礼をいおうとしたが、ちょうど湯気の立つスープが運ばれてきたので、口を閉ざした。エミリオはちらっと視線をよこしたが、何もいわずに食事を始めた。エイミーも視線を手元に戻して、食べることに専念した。
 朝食の一皿は、淡いグリーン・ポタージュが盛りつけられた可愛らしいカップと、ほのかな粉砂糖が振りかけられた焼きたての丸いパン二つが並んでいる。
 鮮やかなグリーンの正体は、ほうれん草と大根のようだ。表面に軽く振られた黒胡椒とクルトンが香りを添えている。それから新鮮なオレンジジュース、ベリーを浮かべたヨーグルト。
 どれも美味しいが、緊張しているせいか、あまり食が進まなかった。
 会話のない静かな時間だった。
 席が離れているから、沈黙が気まずいというほどではないが、仮にも兄妹の食卓とは思えないほど寂しい時間だった。
 食事を終えたエミリオは、いつものように水晶版を取りだし、珈琲を飲みながら新聞を読み始めた。並列化水晶バベルは即検索に強いが、読み物や書き物は端末の方が適している。なんでも頭のなかで処理するのは疲れるのだ。
 いつものエイミーならさっさと席を立つのだが、今日は、食後の紅茶を飲むことにした。エミリオがちらっと視線をよこしたが、すぐに手元に視線を戻した。
 しばらくすると、部屋に義母が入ってきた。碧眼にあわせた青いドレス姿で、長い銀髪は後ろで一つに編み込みにしている。ドレスはデコルテの開いた縫製で、ウェストから下は、深い青のヴェールに包まれたような、繊細な星の輝きが刺繍されたフレアスカートが慎ましく広がっている。優雅でありながらボリュームを抑えた縫製で、母の好む室内着はこういう感じが多い。
「お早う、ふたりとも」
 女神のごとし美貌で、にこやかに挨拶されて、
「お早う、お義母さま」「お早う、母上」
 ふたりの声が重なった。
「エイミー、庭をエミリオと散歩してきたら? あなたの好きな薔薇が咲いているでしょう」
 エミリオと目があった。お互いの瞳に、どうしよう、という感情が浮かんでいた。
「……散歩する?」
 驚いたことに、エミリオの方から声をかけてきた。エイミーを毛嫌いしていても、母を心配させたくないのだろう。
「うん」
 もちろん、エイミーは笑顔で頷いた。席を立ってテラスに向かうエイミーとエミリオを、母は嬉しそうに見送っている。
 いい天気だ。よく手入れされた庭は、朝の光に包まれて美しく輝いている。
 歩きながらエイミーは、過去の行いをあらためて謝罪しようか迷った。しかし、昨日の今日では鬱陶しく思われるだけだろうと思い留まった。
「薔薇が見ごろなの」
 そういうとエイミーは、エミリオを伴って美しい薔薇のアーチの方へ歩いていった。
 晴れ渡る青空のした、緑豊かな芝生に敷かれた小道がまっすぐに伸び、その両側には、白とピンクの薔薇が咲き誇るアーチが長く続いている。
 アーチは優雅な柱によって支えられ、その上には薔薇の蔓が絡みつき、まるで花のトンネルのような幻想的な雰囲気を醸している。メルヘンの世界だ。薔薇の花びらは陽光を浴びて輝き、その香りが風に乗って漂う。
 しばらく無言で歩いていたが、間もなくエイミーは沈黙に耐えきれなくなった。
「……いい香りでしょう? メイドが薔薇の花びらを集めて、湯舟に浮かべてくれたり、アロマにしてくれるのよ」
 この世界の薔薇も、実に品種が豊富だ。この庭園には百を超える品種が植えられているが、エイミーも全ては把握していない。
 それでもいくつかお気に入りの薔薇はあり、白くて可憐な“妖精の光”、涼しげな紫の“夜影の幻想”、赤い“星霜の灯火”は特に好きだ。
 案内するエイミーの隣で、エミリオは時折相槌を打ちながら、黙って聞いていた。
 もう少し歩くと、水辺に面した素敵なガゼボがあるけれど、ふたりで入っても気まずいだろう。よそよそしい態度のエミリオを見る限り、早めに切りあげた方が良さそうだ。エミリオと仲良くしたいが、焦ってはいけない。
「そろそろ戻ろっか」
 引き返そうとするエイミーを、エミリオが呼び止めた。ぱっと振り向くエイミーに、彼は続けた。
「昨日は、ごめんね。いい過ぎた。誕生日にいうことじゃなかったよね」
 エミリオは謝りながらも、まるで観察するような目でエイミーを見ていた。声は優しいが、目が笑っていない。エイミーは戸惑ったが、歩み寄ろうとしてくれているのかもしれない、と好意的に受け取ることにした。
「……いいの。私もごめんなさい。色々と……」
 なんとなく髪のリボンに触れながらいうと、エミリオはじっとエイミーを見つめた。
「そういう遊びなの?」
「え?」
「淑女の仮面を被ったふり?」
「え……」
 返答に詰まるエイミーを、探るようにエミリオは見つめた。
「昨日から、どうしてそんなに大人しいの?」
 エイミーは考えて、慎重に唇を開いた。
「……誕生日の朝、夢を見たの。他の女性の、長い人生を、まるで本当に体験しているみたいな夢。目が醒めても、その女性の感覚が自分のなかに残っているような気がして……これまでの自分の言動に違和感を覚えたというか……反省したの。本当に、本当にごめんなさい」
「……ふぅん、劇薬のような夢だね。どうか、そのまま醒めないでいてくれ」
 エミリオは皮肉げにいった。エイミーは申し訳ないような、物悲しいような気持ちになった。俯いていると、すっと視界に薔薇が一輪、差しだされた。魔法のかけられた、きらきらと輝く青い薔薇だ。
「あげる。しばらくは枯れないよ」
「ありがとう……」
 エイミーは、おずおずと受け取った。試されていることはすぐにわかった。魔導の才能がないエイミーは、魔導を巧みに操るエミリオを妬んでいた。こんな風に魔法をひけらかされたら、癇癪を爆発させたものだ。
 しかし、今のエイミーは違う。煌めく薔薇を純粋に美しいと思う。顔を寄せて、芳醇な香りを吸いこんだ。そして青い薔薇をそっと撫でながら、心からの感謝の気持ちをこめてほほえんだ。
「ありがとう、お義兄さま。大事にするね」
 エミリオの目が僅かに揺れた。
 その一瞬の表情の変化を見逃さなかったエイミーは、少しだけ希望を感じた。
 これまでのことがあるから、エミリオもすぐにはエイミーを赦せないだろう。だけどこんな風に試してくれるなら、むしろありがたかった。今までとは違うということを都度証明できる。そうやって積み重ねていけば、いつか本当に和解できるかもしれない。
「戻ろう、お義兄さま」
 部屋に戻って硝子瓶に飾ろう。そう思って歩きだそうとすると、
「エイミー」
「なぁに?」
 笑顔のまま振り向いたエイミーは、小首を傾げた。
「そのリボン、似合ってる」
 エイミーは頬が熱くなるのを感じた。
「ありがとう」
 にこっと笑うと、エミリオも微笑した。嫌味のない素直な微笑に、エイミーの胸は高鳴った。なんて綺麗な男の子なんだろう。義兄に対して見惚れてしまって、誤魔化すようにぱっと前を向いて歩きだした。
 ちらっと隣を見ると、彼の頭上に光がちかちかするのを見て、思わず見つめてしまう。数字の変化に気をとられて、躓きそうになった。
「危ない!」
 さっとエミリオが腰を抱いてくれて、転倒するのは防がれた。別の意味で心臓がドキドキしている。
「ありがと……」
 躰を離して、そろっと顔をあげると、エミリオの頭上に数字が表れていた。
“-20%”
 マイナスだけど、昨日最後に見たときよりも6%回復した。どうも些細なことで変動するようだから、一喜一憂しすぎない方がいいと己を縛めても、やはり数字があがるのを見ると嬉しくなる。
 或いは七歳の女の子だからだろうか? 感情に素直だ。
 ふわふわと心が浮き立つように軽い。いてもたってもいられなくなって、身を翻して、ぱっと駆けだそうとした。
「エイミー」
 エミリオがすぐに後ろを追いかけて、手を取られた。
「足元をよく見て」
「っ、うん、ごめんなさい」
 ドキドキしながら、エイミーは頷いた。エミリオの手はまだ子供の手だけれど、エイミーに比べると大きい。手を繋いで歩くだけで、なんだかもう、胸がいっぱいだった。