3EMI - 転生した平凡令嬢が好感度マイナスの義兄から溺愛されるまで

1章:マイナスって0より酷い - 4 -

 誕生日から三日目の朝。
 ようやく新生エイミーに慣れたのか、マイヤ夫人もメイドも、今朝は大人しくお世話されるエイミーに対して、何もいわなかった。
 エイミーは機嫌よく一階の小広間へ入ると、定位置に着席しているエミリオを見て、思い切って彼の正面に座ってみた。
「お早う」
 笑みかけると、エミリオは少し間をおいてから「お早う」と返してくれた。
 距離の詰め方が露骨過ぎたかもしれない。少々心配になったが、エミリオは特に何もいわなかった。
 今日のメニューは、きつね色のコーンスープに、美しく盛りつけられたポテトスキン。黄金色に焼きあげられたジャガイモの皮のなかに、溶けたチーズ、カリカリのベーコンと新鮮なチャイブが散りばめられ、クリーミーなサワークリームがトッピングされている。食欲をそそる匂いだ。味も美味しくて、朝からもりもり食べてしまった。食後の紅茶を飲んでいると、
「いい天気だね」
 エミリオが含みのある笑顔を向けてきたので、エイミーは警戒しつつ、笑み返した。
「そうね、お義兄さま」
「気晴らしに鳥でも撃とうか」
 エミリオはにこやかに提案したが、エイミーは、笑顔のまま凍りついた。
「射撃の準備を」
 エミリオが侍従に命じると、彼は頷いて静かに部屋を辞した。エイミーはまだ返事をしていないのに。
「いこう」
 席を立ったエミリオに見つめられ、エイミーも仕方なく立ちあがった。
 確かにエイミーは射撃が好きだったけれど、笑美は好きじゃない。それに狩場はふたりにとって鬼門だ。一体どういうつもりなのだろう?
 エイミーは、エミリオの後ろを歩きながら、彼の頭上に注目していたが、数字が顕れる気配はない。姿勢のよい背中が、一切の会話を拒んでいるようで、狩場へ向かう間ふたりとも無言だった。
(あーあ……)
 昨日は距離を縮められたと思ったのに……刺々しいエミリオに逆戻りだ。
 狩場に到着すると、周囲に護衛兵がいて、侍従がすでに準備を整えていた。
 鳥籠が幾つも用意され、侍従が両手で鳩を掴んで待機している。狩猟は貴族の嗜みであり、幼少時から射撃の練習をするのは、この国では一般的なことだ。
 かつてはエイミーも狩が好きだった。しかし、今はその行為を残酷に感じてしまう。
「飛ばして!」
 エミリオの号令で、侍従が鳩を放つ。銃声が鳴り、鳥が堕ちる。
「お見事!」
 侍従がほめそやす。エイミーも口元を引きつらせながら、手を叩いた。エミリオはにこやかにエイミーを振り向いた。
「次はエイミーの番だよ」
 侍従が差しだす子供用の猟銃を、エイミーは苦い気持ちで見つめた。
「いいの、私は遠慮しておく」
「どうして? 射撃は好きでしょう?」
「今はあんまり。お義兄さまの射撃を見てる」
 エイミーが一歩引くと、エミリオは侍従の手から猟銃を掴み、エイミーに突きだした。
「遠慮しないで、腕前を見せてよ」
「大した腕じゃないから」
「なら、なおさら練習しておかないと。二度と間違えないように」
 エミリオは、天使のような微笑を浮かべている。菫色の瞳が、冷酷にエイミーを見つめている。
 こういう試され方は厭だな。苦い思いを噛み締めつつ、エイミーは銃を受け取るしかなかった。
「照準を絞って。よく狙うんだよ」
 エミリオの忠告に、無言で頷く。笑美は銃の扱いを知らないが、エイミーは知っている。躰がちゃんと覚えている。エミリオを誤射したときの、生々しい指の感覚も――
「目の前にきたら、引き金を引いて。心を鎮めて、自分のタイミングで号令をかけるんだ」
 エイミーは雑念を振り払い、ひとつ深呼吸をして、照準を確認すると、
「飛ばして!」
 号令を叫んだ。
 鳩が空に放たれる――照準を絞って引き金を引こうとした瞬間、嫌な記憶がちらついた。そのせいでタイミングを外してしまい、銃声が虚しく響いた。
 大空に羽搏はばたいていく鳥を茫然と眺めていると、隣でエミリオが笑った。澄み透った水晶のような笑い声だ。
「空に穴をあけてもしょうがないよ。もっと狙いを絞らないと」
「やっぱり、私には無理みたい」
 苦笑いでエイミーがいうと、エミリオは顔から笑みを消した。
「射撃は続けているんでしょ? 父上からそう聞いているけど」
「いや、まぁ……今日はいいかな」
 歯切れ悪く答えるエイミーを、エミリオはじっと見つめた。
「最初はさ、お前が問題ばかり起こすから、父上は狩を覚えさせたんだよ。我慢させるより、発散させた方が良いといってね」
 エイミーは狼狽えて、思わずしたを向きそうになったが、ぐっとこらえた。顔をあげて、エミリオを正面から見つめ返した。
「もう問題は起こしません。変わりたいの、私……本当に」
「悪いけど、やっぱり、お前が変われるとは思えない」
「え……」
 強張るエイミーを、エミリオは射抜くような目で見つめた。
「昨日よく思い返してみたんだけど、お前に失望した回数は、厳選してなお三回あるんだよね。そのうちの一つは、僕を撃ったことなんだけど」
 息をのむエイミーに、エミリオは続けた。
「あの時お前は、鹿と間違えて僕を撃ったといったよね。百歩譲って見間違えたのだとしても、わざわざ並列化水晶バベルの自動安全制御を切っていたのはなんで?」
「それは、本当にごめんなさい。照準するたびに通知が煩くて、つい切ってしまって」
 過去に、何度も説明したことをエイミーは繰り返した。
「まぁ、そう答えるしかないよね。でもさ、何度考えてみても、悪意しか感じられないんだ。あの時お前は、自動安全制御を切っても、まぁいいやって判断したんだよ。隣に父上が寄り添っていて、僕の姿は視界に捉えていない状況を理解しながら。それが無意識なのだとしても」
「違う!」
「自己弁護したいのは判るけど、ただの事実だ」
「違う、違うよ、本当に……っ」
 エイミーは顔を歪めた。本当に誤解なのだ。猜疑心を抱かれても仕方ないが、あれは、エイミーの不注意だった。それ以上でも以下でもなく。
「危ないよ」
 手からすべり落ちそうになった銃を、エミリオが掴んだ。
「あっ、ごめん……」
 銃を掴む手が、小刻みに震えている。その手を見つめながら、エミリオは、ゆっくりくちを開いた。
「……悪いと思うなら、僕の撃ち落とした鳥を拾ってきてくれる?」
「え?」
「あそこに落ちているでしょ? とってきて」
 動けずにいるエイミーに、エミリオはほほえんだ。悪魔めいた微笑だった。
「僕に撃たれそうで怖い? しないよ、そんなこと。エイミーじゃあるまいし」
 冗談めかしてエミリオはいったが、エイミーの胸は抉らるように痛んだ。
「ほら、早く」
 いわれるがまま、エイミーは背を向けて歩き始めた。
 生々しい記憶が蘇ってくる。あの時、黄金の血を流して倒れたエミリオは泣いていた。初めてエミリオの涙を見た。エイミーも泣いていた。本当に間違えたのだ。義父に褒めてほしくて、エミリオに負けたくなくて、ぱっと視界を横切った何かに、鹿と思ったそれに、反射的に引き金をひいてしまった。まさか、撃ち落とした雉を拾おうとしたエミリオだとは思わなかった。わざとではなかった……
 彼が疑うのも無理はない。エイミーは乱暴者で、狩も楽しんでいたから。それでも、エミリオを撃ってしまった時は、エイミーも心底後悔し、打ちひしがれたのだ。
 幸い、この世界の医療は偉大で、エミリオの怪我は綺麗に完治した。義父はともかく、義母はエイミーの悔悟かいごを信じてくれたけれど、エミリオには決定的に嫌われてしまった。
 そのあとエイミーはいっそう荒れて、学校を退学になった。
 両親はしばらくエミリオとエイミーを離した方が良いと判断し、エミリオ自身も寄宿舎に移ることを希望したため、彼は六歳にして親元を離れたのだ。
 そしてエイミーは罪悪感を抱きつつ、わざとではなかったことを信じてもらえず、謝罪を聴き容れてもらえないことに、あてつけのように家をでることに、エミリオに対する憎しみを募らせた。
 あの頃が、一番酷かった。
 過去を振り返りながら、エイミーは落ちた鳩を掴み、ゆっくり振り向いた。
 半ば予想していたが、エミリオは猟銃を構えていた。エイミーを照準している。エイミーは本能的な恐怖を堪えて、彼の次にとる行動をじっと待った。
 ほんの二、三秒の沈黙。
 エミリオは、さっと銃口を空に向けた。鋭い音が鳴り響いた。
「ひっ……」
 反射的に防御姿勢をとったエイミーの正面に、鳥が堕ちてきた。エイミーは震える手で鳥を拾い、正面を向いた。エミリオはもう銃をおろしている。不規則な鼓動が落ち着くにつれて、エイミーは腹が立ってきた。
 いくらエイミーが憎いからといって、故意に銃を向けていいはずがない。悪ふざけにもほどがある。肩をいからせ、鳥を掴んだまま歩いていき、エミリオの元に戻ると、ぶっきらぼうに彼に向かって鳥を突きだした。
「はい」
「……どうも」
 エミリオは無表情で鳥を受け取った。
「気が済んだ?」
 エイミーが冷ややかに訊ねると、エミリオの目に、さっと怒りが灯った。
「お前に――」
「こんな風に私を試すのはやめて。二度と銃口を向けないで」
 遮るように告げると、エミリオは眉をひそめた。頭上に数字が顕れる。
“-21%”
 またさがった。もう、好感度なんてどうでも良い。
「今までの酷い言動を、お詫びします。お義兄さまを撃ってしまったことも、本当に申し訳なく思っています」
 エイミーは丁寧に頭をさげた。顔をあげると、銀盆を手にとり、上着のなかにしまった。訝しげにこちらを見ているエミリオの前で、両手を広げてみせた。
「決してわざとではなかったけど、痛い思いをしたのはお義兄さまだし……だから、撃って。それで手打ちにして」
 エミリオは絶句した。
 彼がそんな風に凍りつく姿は、初めて見るかもしれない。エイミーは別に、挑発しているつもりはなかった。ただ、今この場で清算したかった。過去の愚かな振る舞いを。あの時撃ってしまったことを、撃たれたエミリオの苦痛を。
 エミリオは銃を握りしめたまま、エイミーをじっと見つめていた。彼の目には混乱と戸惑い、そしてわずかな動揺が浮かんでいる。
「――何をしている!」
 義父の鋭い声に、ふたりとも弾かれた独楽こまのように振り向いた。
 鬼の形相で義父が駆けてくる。
 エイミーもエミリオも、色々な意味で「終わった」と思った。姿勢を正して、この後に起こる叱責を覚悟した。
 あっという間に目の前にやってきた義父は、いつもに増して厳しい顔をしていた。義父は、まずエミリオを睥睨した。
「エミリオ、エイミーに銃口を向けたそうだな。弁明はあるか?」
「ありません」
 潔くエミリオが答えると、義父は、エミリオの頬をひっぱたいた。パンッと鋭く乾いた音がして、細い躰はよろめいた。
 隣で見ていたエイミーは、自分が叩かれたわけではないのに、頬がカッと熱くなる錯覚に囚われた。
 射撃をしていた時は勇ましく見えたのに、公爵に比べたら未熟で小さな躰が、今はとても弱々しく見える。
「どんな理由があるにせよ、お前のしたことは卑劣な行為だ」
 エミリオは束の間、悄然しょうぜんと項垂れたが、すぐに顔をあげた。頬を押さえもせずに、姿勢を正した。
「はい。申し訳ありませんでした」
 頭をさげるエミリオは、九歳とは思えないほど立派だった。まだ子供なのに、厳しく躾けられた彼の聡明さ、誇り高さにエイミーは胸を打たれ、視界に涙が滲んだ。
「エイミーに謝りなさい」
 びくっとエイミーは怯えた。いえ、私は……と中途半端にいいかけたところで、エミリオはエイミーを見た。
「怖い思いをさせて、ごめんなさい」
 そういってエミリオは、きっちりと手を体の横に揃えて頭をさげた。
「いえ、こちらこそ……」
 エイミーが震える声で応じると、エミリオはゆっくり顔をあげた。表情は綺麗に消しているが、頭上に顕れる数字を見れば、彼がエイミーをどう思っているかは一目瞭然だった。
“-23%”
 ああ、判りあえないな……
 彼と良好な関係はもう、諦めるしかないのかもしれない。エイミーはそっと目を伏せた。
「お前は魔導の才に恵まれ、爵位を継ぐ立場もある。人より優秀なのは認める。だからこそ、その力を怒りや憎しみのために使ってはならない。小さな驕りが、取り返しのつかない事態を招くことになる。感情で行動してはいけない。常に己を律しなさい」
「はい」
 エミリオは真剣な表情で返事をした。九歳の息子にかける言葉じゃないな……そう思いながら、エイミーは黙っていた。
 義父の厳しい視線は、次にエイミーに向けられた。内心で身震いしながらも、エイミーは叱責を待った。
「エイミー、お前もだ。エミリオの前で両手を広げていたのは、一体なんの真似だ?」
「え、と……」
「答えなさい」
 エイミーは背筋を伸ばした。
「撃って、といいました。ごめんなさい……申し訳ありませんでした」
 両手を揃えて、頭をさげた。
「顔をあげなさい」
 怖い。恐怖で震えそうになる躰を叱咤して、エイミーは顔をあげた。覚悟を決めて、歯を食いしばった。平手打ちが飛んでくると思ったら、かなり手加減されたげんこつが頭に落ちた。
「ぅっ……」
 反射的に両手で頭を押さえると、公爵はため息をついた。
「あれは皆が心を痛めた、事故だった。怪我をしたエミリオも、引き金を引いたエイミーも、未然に防げなかった私も、妻も、侍従たちも、皆が辛い思いをした。特に幼いお前たちには、辛い思いをさせてしまった……悪かった。教える立場にある、私の責任だ。お前たちのせいじゃない」
 エミリオもエイミーも、沈黙した。公爵がこのように諭すのは、一度や二度ではない。しかし理性と感情は別だ。一番の当事者であるエミリオは特にそうだろう。
「あんなに辛い思いをしたのだから、自ら同じことを繰り返すな。お互いを責めるのはやめなさい」
 エミリオは苦虫を噛み潰したような顔をしている。その頬は少し赤く腫れている。エイミーもげんこつをもらったが、殆ど手加減されていた。こういう理不尽さも、エミリオを追いつめてきたのだろう。
 エイミーは堪らない気持ちになって、エミリオの手をぎゅっと掴んだ。
「ごめんなさい。嫌な思いをさせて、ごめんなさい」
 澄んだ紫色の瞳が、驚いたようにエイミーを見つめ返してきた。
「いや……僕の方こそ……」
 抑揚のない声から、エミリオの心が垣間見えた気がした。きゅっと軽く握り返された瞬間、エイミーの胸は熱くなる。視界が潤みかけて、泣くまいと唇を噛み締めた。
(まだ、諦めなくてもいい?)
 静かに見守っていた義父は、エミリオとエイミーの頭を、ぎこちなく撫でた。
 その瞬間、毅然とした態度でいたエミリオは、形の良い眉を寄せて、涙を堪えるように顔を伏せた。
 エイミーも泣いてしまいそうだった。義父がこんな風に触れてくれることは、めったにない。厳しくも温かな手の感触が、傷ついた心を優しく慰めてくれる。
 エミリオの頭上に光が舞っている。今は、数字の変化に一喜一憂したくなくて、そっと視線を伏せた。