残酷少女と悪魔の団欒
残酷少女と悪魔の団欒 - 5 -
謝肉祭は、夏至から数えて二十日目に幕を明け、七日に渡って催される宗教行事だ。と言っても、そう堅苦しいものではなく、皆が笑顔で楽しむ、カサンドラ国全土で行われる賑やかなお祭りである。
古くは、地方の領主を務める司祭が、夏の暑い盛りに、労働を労う農耕祭として始めたとされる。城塞に身分隔たりなく領民を招き入れ、様々なワインや蜂蜜酒を振る舞ったという。すっきりとした酒で、日頃の疲れを癒していたようだ。
今日でも、主催はその土地の司祭が務めている。
聖週間は、街中の人が聖なる祝祭の衣装を着て、白い仮面をつける。麦の穂を手に巻き付け、蝋燭を手に、石畳の小路を昼も夜も練り歩くのだ。
謝肉祭に身分は関係ない。子供も大人も、貴族も平民も、皆が仮面をつけて、信仰心の元に平等に楽しむ。
夜は子供達が家々を巡り、お祈りの言葉を捧げる。その家の住人はお礼に、ささやかなお菓子を授けるのだ。
「今日から謝肉祭よ。私も行きたい!」
両手を組んで、メグは懇願した。
「いいわよ。シャルルも一緒に連れていくなら」
マリアリリスはおっとりした笑みを浮かべ、メグの頭を撫でた。メグはむぅと頬を膨らませる。
「一人で行けるよ」
「危ないわ」
「なんで私ばっかり、ああしなさい、こうしなさいって言うの?」
不機嫌も露わにメグが言うと、マリアリリスは困ったような顔をした。
「メグちゃんは女の子なんだもの」
「女の子だからって、あれもこれも我慢しないといけないの? シャルが一人で出掛けるって言っても、ママ、止めないじゃない」
「そーぉ?」
「そうよ」
「じゃあ、メフィスティがいいって言ったら、いいわよ」
メグはむっと眉をひそめた。家族の中で最も厳しいのは、父のメフィスティだ。
「もういいよ!」
ふて腐れて中庭へ飛び出すと、いくらも歩かぬうちに、シャルルが後ろをついてきた。
「お姉様、どこへ行くの?」
「……眠いから、お昼寝しない?」
思うところあって提案すると、シャルルは嬉しそうに微笑んだ。
硝子園に二人で入ると、寝椅子に二人で並んで腰掛ける。寝かしつけてしまおうと押し倒せば、シャルルは素直に寝転んだ。
「少し寝よ」
「はい」
やがて……静かな寝息が聞こえてくると、少しの震動も立てぬよう、メグはそっと起き上がった。
勝手に出掛けてやろうと思い、忍び足で玄関に近付いていくと――
「メグ、どこへ行くの?」
ひんやりとした空気が流れると共に、どこからか、サタナキアが現れた。
「離して!」
走り抜けようとしたが、襟を掴まれた。サタナキアは呆れたようにメグを見下ろすと、腕をとって抱き上げた。
「も――ッ!!」
肩を全力で押し退けようとするが、少しも敵わない。
「何を怒っているの?」
「離してよ! キアッ!!」
「そんなに急いで、どこに行くの?」
「街へ下りるの!」
「シャルルは?」
「シャルは関係ない」
「一人じゃ危ないだろう?」
「一人で行ける!」
噛みつくように吠えると、サタナキアはメグの頬にキスをした。
「いい子だから、シャルルを連れていきなさい」
「お姉様、置いていかないでください」
いつの間にか、すぐ傍にシャルルがいた。上目遣いに、メグを仰いでいる。
「あーぁ……」
もう見つかってしまった。露骨に顔をしかめるメグを見て、シャルルは悲しそうな顔をした。
「……判ったよ。一緒に行けばいいんでしょ」
渋々手を差し伸べると、シャルルは控えめに微笑んだ。遠慮がちに、そっと手を重ねる。
マリアリリスの用意してくれた、揃いの外套を羽織り、メグもシャルルも白い仮面をつけた。普段とは違う、互いの仮装姿を見て、忍び笑いを漏らす。
出掛ける頃にはメグの不機嫌も直り、大人しくシャルルに抱き上げられて空を飛んだ。背丈はそう変わらないのに、メグを抱えていても、シャルルの飛行は少しも危うくない。
謝肉祭が始まり、王都はいつになく活気づいている。
二人は、中流階級が住む区画に舞い降りた。
菓子入れの籠を腕に提げて、意気揚々とドアノッカーを鳴らす。戸口に立つメグとシャルルを見るなり、若い女主人は眼を丸くした。
「あら、二人だけなの? 切り裂き魔が出るから、子供は街をうろついてはいけないのよ」
「兄ときているから、平気です」
機転を利かせてシャルルが言うと、女は安堵の表情を浮かべた。
「シャーリン・ホーグ! ルーメ、ルーメ。夏の綺羅星が、たんと突き刺さりますように。お礼にお菓子をくれないと、呪ってやる」
腕を組んで、敬虔な信徒のようにメグは言った。物騒な祈りに女は眼を丸くしたが、お菓子を籠の中に入れてくれた。
この善良な女のように、メグとシャルルを見て、心配そうな顔をする者は多かった。その度に、二人は平然と嘘をついて、お菓子をせしめた。
「しめしめ……いっぱいもらえたね」
家々を一刻も巡るうちに、籠の中はお菓子で一杯になった。戦利品を眺めて、メグはほくそ笑んだ。
「もう入りそうにありませんね」
「そうね……そろそろ帰る?」
「はい、お姉様」
ふと、通りの反対側に、聖堂を見つけた。子供達が群がり集まり、聖職者達に菓子を強請っている。
「最後に、あそこで貰って帰ろう」
言うが早いか、メグは駆け出した。シャルルも後ろをついてくる。
手を伸ばす子供達に混じって、メグも負けじと手を伸ばした。
「シャーリン・ホーグ! お菓子をくれないと、呪ってやるッ」
一風変わった祈りが良かったのか、善良そうな男がこちらを向いた。優しげな茶色の双眸には、慈愛が浮かんでいる。
「はい、どうぞ。祝福がありますように」
「ありがとうございます」
ほくほくと菓子をしまいこむ瞬間、男の指に光る、銀色の指輪に目が留まった。
思わず、目が釘付けになった。
精緻な薔薇の意匠が施された、異端審問官が持つ指輪だ。美しい指輪だが、いいようのない薄気味悪さを感じる。昔どこかで、あの指輪を見たような……?
「お姉様、帰りましょう」
指輪を凝視するメグの腕を、シャルルは強い力で引いた。よろめいた拍子に、手から菓子が零れ落ちる。
「お菓子が」
「早く。ここにいてはいけません」
「どうしてよ?」
大通りを抜けて、路地裏の闇に潜り込んだ途端、シャルルはメグを抱えた。闇より暗い色の翼を広げて、空に浮き上がる。
「シャル!」
「お姉様、しっかり掴まっていて」
「もう」
落っこちてしまわぬよう、メグは渋々腕を回して、シャルルの首にしがみついた。小さくなっていく群衆を見下ろしながら、さっき見た指輪のことを考えた。
「シャル、あの指輪を見た?」
「魔を払う聖銀でしたね。でも、信仰や神の秘蹟を以てしても、僕達を追い払うことなんてできないでしょうけれど」
「……」
不敵に笑うシャルルと違って、メグは不安な気持ちに襲われた。あの美しい指輪を、なぜか恐ろしく感じてしまう……
「お姉様、眠いのですか?」
思い耽っていると、勘違いしたのか、シャルルがそう問いかけた。
「ちょっと……」
わざとらしい生欠伸を拵 えて、メグは瞼を伏せた。
あの指輪のことは、考えるのをよそう。なぜか、あまり気が進まない……
疲れた様子のメグを見て、シャルルは頷いた。屋敷に着くと、玄関ではなく、メグの部屋のバルコニーへ降りる。
「お部屋へ戻りましょう」
差し伸べられた手に、メグは手を重ねた。音もなく、慣れ親しんだ部屋の窓が開いた。
天蓋のベッドに二人で上がると、甘えるように、シャルルはメグに寄り添った。着替えるのも面倒で、メグもそのまま瞳を閉じる。
腹が立つこともあるが、こうしていると、赤子のシャルルを寝かしつけていた頃を思い出す。
ひんやりとした体温を感じながら、自然と眠りに落ちていった。
古くは、地方の領主を務める司祭が、夏の暑い盛りに、労働を労う農耕祭として始めたとされる。城塞に身分隔たりなく領民を招き入れ、様々なワインや蜂蜜酒を振る舞ったという。すっきりとした酒で、日頃の疲れを癒していたようだ。
今日でも、主催はその土地の司祭が務めている。
聖週間は、街中の人が聖なる祝祭の衣装を着て、白い仮面をつける。麦の穂を手に巻き付け、蝋燭を手に、石畳の小路を昼も夜も練り歩くのだ。
謝肉祭に身分は関係ない。子供も大人も、貴族も平民も、皆が仮面をつけて、信仰心の元に平等に楽しむ。
夜は子供達が家々を巡り、お祈りの言葉を捧げる。その家の住人はお礼に、ささやかなお菓子を授けるのだ。
「今日から謝肉祭よ。私も行きたい!」
両手を組んで、メグは懇願した。
「いいわよ。シャルルも一緒に連れていくなら」
マリアリリスはおっとりした笑みを浮かべ、メグの頭を撫でた。メグはむぅと頬を膨らませる。
「一人で行けるよ」
「危ないわ」
「なんで私ばっかり、ああしなさい、こうしなさいって言うの?」
不機嫌も露わにメグが言うと、マリアリリスは困ったような顔をした。
「メグちゃんは女の子なんだもの」
「女の子だからって、あれもこれも我慢しないといけないの? シャルが一人で出掛けるって言っても、ママ、止めないじゃない」
「そーぉ?」
「そうよ」
「じゃあ、メフィスティがいいって言ったら、いいわよ」
メグはむっと眉をひそめた。家族の中で最も厳しいのは、父のメフィスティだ。
「もういいよ!」
ふて腐れて中庭へ飛び出すと、いくらも歩かぬうちに、シャルルが後ろをついてきた。
「お姉様、どこへ行くの?」
「……眠いから、お昼寝しない?」
思うところあって提案すると、シャルルは嬉しそうに微笑んだ。
硝子園に二人で入ると、寝椅子に二人で並んで腰掛ける。寝かしつけてしまおうと押し倒せば、シャルルは素直に寝転んだ。
「少し寝よ」
「はい」
やがて……静かな寝息が聞こえてくると、少しの震動も立てぬよう、メグはそっと起き上がった。
勝手に出掛けてやろうと思い、忍び足で玄関に近付いていくと――
「メグ、どこへ行くの?」
ひんやりとした空気が流れると共に、どこからか、サタナキアが現れた。
「離して!」
走り抜けようとしたが、襟を掴まれた。サタナキアは呆れたようにメグを見下ろすと、腕をとって抱き上げた。
「も――ッ!!」
肩を全力で押し退けようとするが、少しも敵わない。
「何を怒っているの?」
「離してよ! キアッ!!」
「そんなに急いで、どこに行くの?」
「街へ下りるの!」
「シャルルは?」
「シャルは関係ない」
「一人じゃ危ないだろう?」
「一人で行ける!」
噛みつくように吠えると、サタナキアはメグの頬にキスをした。
「いい子だから、シャルルを連れていきなさい」
「お姉様、置いていかないでください」
いつの間にか、すぐ傍にシャルルがいた。上目遣いに、メグを仰いでいる。
「あーぁ……」
もう見つかってしまった。露骨に顔をしかめるメグを見て、シャルルは悲しそうな顔をした。
「……判ったよ。一緒に行けばいいんでしょ」
渋々手を差し伸べると、シャルルは控えめに微笑んだ。遠慮がちに、そっと手を重ねる。
マリアリリスの用意してくれた、揃いの外套を羽織り、メグもシャルルも白い仮面をつけた。普段とは違う、互いの仮装姿を見て、忍び笑いを漏らす。
出掛ける頃にはメグの不機嫌も直り、大人しくシャルルに抱き上げられて空を飛んだ。背丈はそう変わらないのに、メグを抱えていても、シャルルの飛行は少しも危うくない。
謝肉祭が始まり、王都はいつになく活気づいている。
二人は、中流階級が住む区画に舞い降りた。
菓子入れの籠を腕に提げて、意気揚々とドアノッカーを鳴らす。戸口に立つメグとシャルルを見るなり、若い女主人は眼を丸くした。
「あら、二人だけなの? 切り裂き魔が出るから、子供は街をうろついてはいけないのよ」
「兄ときているから、平気です」
機転を利かせてシャルルが言うと、女は安堵の表情を浮かべた。
「シャーリン・ホーグ! ルーメ、ルーメ。夏の綺羅星が、たんと突き刺さりますように。お礼にお菓子をくれないと、呪ってやる」
腕を組んで、敬虔な信徒のようにメグは言った。物騒な祈りに女は眼を丸くしたが、お菓子を籠の中に入れてくれた。
この善良な女のように、メグとシャルルを見て、心配そうな顔をする者は多かった。その度に、二人は平然と嘘をついて、お菓子をせしめた。
「しめしめ……いっぱいもらえたね」
家々を一刻も巡るうちに、籠の中はお菓子で一杯になった。戦利品を眺めて、メグはほくそ笑んだ。
「もう入りそうにありませんね」
「そうね……そろそろ帰る?」
「はい、お姉様」
ふと、通りの反対側に、聖堂を見つけた。子供達が群がり集まり、聖職者達に菓子を強請っている。
「最後に、あそこで貰って帰ろう」
言うが早いか、メグは駆け出した。シャルルも後ろをついてくる。
手を伸ばす子供達に混じって、メグも負けじと手を伸ばした。
「シャーリン・ホーグ! お菓子をくれないと、呪ってやるッ」
一風変わった祈りが良かったのか、善良そうな男がこちらを向いた。優しげな茶色の双眸には、慈愛が浮かんでいる。
「はい、どうぞ。祝福がありますように」
「ありがとうございます」
ほくほくと菓子をしまいこむ瞬間、男の指に光る、銀色の指輪に目が留まった。
思わず、目が釘付けになった。
精緻な薔薇の意匠が施された、異端審問官が持つ指輪だ。美しい指輪だが、いいようのない薄気味悪さを感じる。昔どこかで、あの指輪を見たような……?
「お姉様、帰りましょう」
指輪を凝視するメグの腕を、シャルルは強い力で引いた。よろめいた拍子に、手から菓子が零れ落ちる。
「お菓子が」
「早く。ここにいてはいけません」
「どうしてよ?」
大通りを抜けて、路地裏の闇に潜り込んだ途端、シャルルはメグを抱えた。闇より暗い色の翼を広げて、空に浮き上がる。
「シャル!」
「お姉様、しっかり掴まっていて」
「もう」
落っこちてしまわぬよう、メグは渋々腕を回して、シャルルの首にしがみついた。小さくなっていく群衆を見下ろしながら、さっき見た指輪のことを考えた。
「シャル、あの指輪を見た?」
「魔を払う聖銀でしたね。でも、信仰や神の秘蹟を以てしても、僕達を追い払うことなんてできないでしょうけれど」
「……」
不敵に笑うシャルルと違って、メグは不安な気持ちに襲われた。あの美しい指輪を、なぜか恐ろしく感じてしまう……
「お姉様、眠いのですか?」
思い耽っていると、勘違いしたのか、シャルルがそう問いかけた。
「ちょっと……」
わざとらしい生欠伸を
あの指輪のことは、考えるのをよそう。なぜか、あまり気が進まない……
疲れた様子のメグを見て、シャルルは頷いた。屋敷に着くと、玄関ではなく、メグの部屋のバルコニーへ降りる。
「お部屋へ戻りましょう」
差し伸べられた手に、メグは手を重ねた。音もなく、慣れ親しんだ部屋の窓が開いた。
天蓋のベッドに二人で上がると、甘えるように、シャルルはメグに寄り添った。着替えるのも面倒で、メグもそのまま瞳を閉じる。
腹が立つこともあるが、こうしていると、赤子のシャルルを寝かしつけていた頃を思い出す。
ひんやりとした体温を感じながら、自然と眠りに落ちていった。