残酷少女と悪魔の団欒
残酷少女と悪魔の団欒 - 6 -
繰り返される、おぞましい悪夢。
重厚な造りのマガハラ大聖堂の奥。暗い地下牢にメグは囚われていた。
ここは、異端審問にかけられた憐れな健常者達が、絶望の時を過ごす場所。
大聖堂の真下にあるというのに、土壁で囲まれた地下牢には、光の一筋も届かない。
鉄柵のついた、嵌め殺しの小窓からは、松明が一つだけ灯された廊下が見える。その先には、錆びついた鉄扉。がたぴしの扉は、完全には締まりきらず、いつもうっすら開いている。
あの暗い隙間が開く時、メグ達は恐怖に苛まされた。
けれど、その恐怖も今日で最期だ。
処刑執行日――
土壁に背を預け、囚人達は虚ろな眼差しで虚空を見ている。
彼等は、メグの家族だ。頬はこけ、痛めつけられたその身体。母も父も、兄達も、半年に渡る拷問の間に、ありもしない罪状を認めてしまった。
苦痛に苛まされ、無実を訴える心はとうに折れていた。
固い靴音が鳴り、隙間が開く――
ギギ……と重たい音を立てて、鉄扉が開いた。
非情の獄吏が、両手を戒められたメグを、牢屋の外へと連れ出した。痛いと泣いたって、誰も聴き容れてくれやしない。
苦痛から解き放たられる日を、どれだけ願ったろう。
家畜のように檻に入れられて、荷車で運ばれた。
通りを埋め尽くす、好奇心を隠せない観衆達。最前列に並ぶ無数の瞳には、あぁ自分でなくて良かった、と隠しようのない安堵や優越感が浮いていた。
死臭漂う処刑場。
四肢は鎖に繋がれて、腕も足も動かせない。ぷんと漂う、血と油の匂い。
「嫌だ……」
この後の展開を知っている。身の毛もよだつ恐怖が待っている。知っているのに、まだ醒めない……
「誰か!」
曇天の日射しは、暗闇で弱ったメグの双眸を焼いた。腐臭たちこめる、処刑場の上空には、烏たちがギャアギャアと群れ飛んでいる。
「神を信じますか?」
逆光を浴びて立つ男が、メグに問うた。
その問いの、あまりの非情さ、無神経さに、メグは顔を歪めた。
昏い牢屋に捕らわれ、拷問を繰り返されたメグに、神の存在を問いかけるのか。
「……いいえ」
昏い瞳をした少女は、虚ろに応えた。
今更、どんな質問に恭順に応えたところで、異教徒の烙印は押されてしまった。世にも残酷な処刑を免れることは叶わないのだ。
「信仰を否定し、背反する行為は、恐るべき忌まわしき罪です。毒殺流布の罪状とあわせて、我々は、最も過酷な恐ろしい罰、火刑を命じるものであり……名前の挙がった六名の罪人をここに死刑に処し、苦痛に満ちた死を与えるものとする。つまり――」
続けられた言葉の、おぞましさ。
口にするのも憚れる、恐ろしい処刑方法が滔々と男の口から零れる。あまりの凄惨さに、聴衆までもが顔をしかめた。
そんな殺し方を、本当にするの? 本当に? なんで?
残酷すぎる。
聖典を読み上げるかのような、抑揚のない口調で紡ぐ聖職者。あいつは、あいつは、人間の皮を被った、おぞましい怪物だッ!
縄で繋がれた家族は、恐怖に打ち震え、悲壮な涙を零した。
このような目に合わなければいけない、どんな罪がメグ達にあるというのだろう。
「ママッ!!」
メグの眼の前で、恐ろしい仕打ちが家族を襲う。
「あぁぁッ! あの子には、あの子には見せないで、どうか、あの子には、あの子はまだ、六歳なのですよ……」
「――ッ!!」
処刑人が双乳に刃を入れる……ああああぁぁぁぁ……あまりのことに、言葉にならない。
苦痛に満ちた悲鳴が曇天に残響する。
神よ。
いるのなら応えてみろ。
この仕打ちを受けねばならないどんな謂れが、メグに、家族にあるというの?
「悔い改めよ」
聖なる言葉を吐く男を、メグは憎悪の眼差しで睨んだ。
安全な高みから、煉獄を眺めている。あの男をあそこから引きずり下ろしてやりたい。
同じ目に合えばいい。そうすれば、神が本当にいるのか、男にもきっと判るだろう。
聖職者は、火を放て、と合図した。
逆光で顔は見えないが、指先に光る銀色の指輪は、細かな薔薇の意匠まで視認できた。
血を流す憐れな家族達が、杭に縛り付けられた。メグの身体の下で、炎が燃えあがる。
「あぁぁ、熱いィッ」
この世の全てが憎い。
全てを呪って、怨嗟で覆い尽くしたい。
苦しみ抜いて、命を絶ちたいと願いながら、絶望の果てに一人残らず死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ――
「お姉様」
真っ暗に染まった視界に、光が灯った。自分を呼ぶ声を、清涼な鈴の音のように感じる。
(シャル……)
繋がれていた身体が、ふっと軽くなった。頽 れるメグの体を、シャルルは抱きしめる。
「もう大丈夫」
「遅いよぉ」
靄ががかった意識が少しずつ晴れていく。シャルルの華奢な首にしがみつくと、幼い手は慰めるようにメグの頭を撫でた。
「帰りましょう、お姉様」
たった一言で、腐臭も恐い景色も失せた。
「私の悪夢を食べたの?」
恨めし気にメグが睨むと、シャルルは微笑んだ。
「はい。今日は僕が食べました。ごちそうさま」
悪夢から兄弟の誰かが救いあげてくれるのは、いつものことだ。今夜はシャルルだった。美味しかった、と呟く気楽さが気に食わず、メグはシャルルの額を小突いた。
「まさか、悪夢を食べたいから、私に悪夢を見せてるんじゃないでしょうね?」
「違います」
拗ねたように、シャルルは応えた。景色は光に包まれて、瞼が開いていく。
ぼんやり眼を開けると、見慣れた円蓋が視界に映った。
外は酷い嵐だ。礫のような雨が、硝子窓を激しく叩いている。
「お姉様、平気?」
隣に寝ているシャルルを見て、メグは小さく息を吐いた。
「うん。恐い夢を見た……でも忘れちゃった。眼が覚めると、いつもこう」
とても怖かった、という感覚しか残っていない。具体的な内容は欠片も思い出せない。
「今夜はもう大丈夫。怖い夢は遠ざけたから」
「……」
どうして、あんなに怖いと思ったのだろう。どんな夢を見ていたっけ……
「まだ夜ですよ。寝ましょう?」
意識を呼び戻され、メグは瞬いた。シャルルの青い瞳が、思案気にメグを映している。
「うん……」
埒もない想いを断ち切り、メグも大人しく瞳を閉じた。
日頃は疎ましく思っている弟だが、眠る時は別だ。すっかり馴染んだ、夏でもひんやりとした肌が心細さを慰めてくれるから。
重厚な造りのマガハラ大聖堂の奥。暗い地下牢にメグは囚われていた。
ここは、異端審問にかけられた憐れな健常者達が、絶望の時を過ごす場所。
大聖堂の真下にあるというのに、土壁で囲まれた地下牢には、光の一筋も届かない。
鉄柵のついた、嵌め殺しの小窓からは、松明が一つだけ灯された廊下が見える。その先には、錆びついた鉄扉。がたぴしの扉は、完全には締まりきらず、いつもうっすら開いている。
あの暗い隙間が開く時、メグ達は恐怖に苛まされた。
けれど、その恐怖も今日で最期だ。
処刑執行日――
土壁に背を預け、囚人達は虚ろな眼差しで虚空を見ている。
彼等は、メグの家族だ。頬はこけ、痛めつけられたその身体。母も父も、兄達も、半年に渡る拷問の間に、ありもしない罪状を認めてしまった。
苦痛に苛まされ、無実を訴える心はとうに折れていた。
固い靴音が鳴り、隙間が開く――
ギギ……と重たい音を立てて、鉄扉が開いた。
非情の獄吏が、両手を戒められたメグを、牢屋の外へと連れ出した。痛いと泣いたって、誰も聴き容れてくれやしない。
苦痛から解き放たられる日を、どれだけ願ったろう。
家畜のように檻に入れられて、荷車で運ばれた。
通りを埋め尽くす、好奇心を隠せない観衆達。最前列に並ぶ無数の瞳には、あぁ自分でなくて良かった、と隠しようのない安堵や優越感が浮いていた。
死臭漂う処刑場。
四肢は鎖に繋がれて、腕も足も動かせない。ぷんと漂う、血と油の匂い。
「嫌だ……」
この後の展開を知っている。身の毛もよだつ恐怖が待っている。知っているのに、まだ醒めない……
「誰か!」
曇天の日射しは、暗闇で弱ったメグの双眸を焼いた。腐臭たちこめる、処刑場の上空には、烏たちがギャアギャアと群れ飛んでいる。
「神を信じますか?」
逆光を浴びて立つ男が、メグに問うた。
その問いの、あまりの非情さ、無神経さに、メグは顔を歪めた。
昏い牢屋に捕らわれ、拷問を繰り返されたメグに、神の存在を問いかけるのか。
「……いいえ」
昏い瞳をした少女は、虚ろに応えた。
今更、どんな質問に恭順に応えたところで、異教徒の烙印は押されてしまった。世にも残酷な処刑を免れることは叶わないのだ。
「信仰を否定し、背反する行為は、恐るべき忌まわしき罪です。毒殺流布の罪状とあわせて、我々は、最も過酷な恐ろしい罰、火刑を命じるものであり……名前の挙がった六名の罪人をここに死刑に処し、苦痛に満ちた死を与えるものとする。つまり――」
続けられた言葉の、おぞましさ。
口にするのも憚れる、恐ろしい処刑方法が滔々と男の口から零れる。あまりの凄惨さに、聴衆までもが顔をしかめた。
そんな殺し方を、本当にするの? 本当に? なんで?
残酷すぎる。
聖典を読み上げるかのような、抑揚のない口調で紡ぐ聖職者。あいつは、あいつは、人間の皮を被った、おぞましい怪物だッ!
縄で繋がれた家族は、恐怖に打ち震え、悲壮な涙を零した。
このような目に合わなければいけない、どんな罪がメグ達にあるというのだろう。
「ママッ!!」
メグの眼の前で、恐ろしい仕打ちが家族を襲う。
「あぁぁッ! あの子には、あの子には見せないで、どうか、あの子には、あの子はまだ、六歳なのですよ……」
「――ッ!!」
処刑人が双乳に刃を入れる……ああああぁぁぁぁ……あまりのことに、言葉にならない。
苦痛に満ちた悲鳴が曇天に残響する。
神よ。
いるのなら応えてみろ。
この仕打ちを受けねばならないどんな謂れが、メグに、家族にあるというの?
「悔い改めよ」
聖なる言葉を吐く男を、メグは憎悪の眼差しで睨んだ。
安全な高みから、煉獄を眺めている。あの男をあそこから引きずり下ろしてやりたい。
同じ目に合えばいい。そうすれば、神が本当にいるのか、男にもきっと判るだろう。
聖職者は、火を放て、と合図した。
逆光で顔は見えないが、指先に光る銀色の指輪は、細かな薔薇の意匠まで視認できた。
血を流す憐れな家族達が、杭に縛り付けられた。メグの身体の下で、炎が燃えあがる。
「あぁぁ、熱いィッ」
この世の全てが憎い。
全てを呪って、怨嗟で覆い尽くしたい。
苦しみ抜いて、命を絶ちたいと願いながら、絶望の果てに一人残らず死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ――
「お姉様」
真っ暗に染まった視界に、光が灯った。自分を呼ぶ声を、清涼な鈴の音のように感じる。
(シャル……)
繋がれていた身体が、ふっと軽くなった。
「もう大丈夫」
「遅いよぉ」
靄ががかった意識が少しずつ晴れていく。シャルルの華奢な首にしがみつくと、幼い手は慰めるようにメグの頭を撫でた。
「帰りましょう、お姉様」
たった一言で、腐臭も恐い景色も失せた。
「私の悪夢を食べたの?」
恨めし気にメグが睨むと、シャルルは微笑んだ。
「はい。今日は僕が食べました。ごちそうさま」
悪夢から兄弟の誰かが救いあげてくれるのは、いつものことだ。今夜はシャルルだった。美味しかった、と呟く気楽さが気に食わず、メグはシャルルの額を小突いた。
「まさか、悪夢を食べたいから、私に悪夢を見せてるんじゃないでしょうね?」
「違います」
拗ねたように、シャルルは応えた。景色は光に包まれて、瞼が開いていく。
ぼんやり眼を開けると、見慣れた円蓋が視界に映った。
外は酷い嵐だ。礫のような雨が、硝子窓を激しく叩いている。
「お姉様、平気?」
隣に寝ているシャルルを見て、メグは小さく息を吐いた。
「うん。恐い夢を見た……でも忘れちゃった。眼が覚めると、いつもこう」
とても怖かった、という感覚しか残っていない。具体的な内容は欠片も思い出せない。
「今夜はもう大丈夫。怖い夢は遠ざけたから」
「……」
どうして、あんなに怖いと思ったのだろう。どんな夢を見ていたっけ……
「まだ夜ですよ。寝ましょう?」
意識を呼び戻され、メグは瞬いた。シャルルの青い瞳が、思案気にメグを映している。
「うん……」
埒もない想いを断ち切り、メグも大人しく瞳を閉じた。
日頃は疎ましく思っている弟だが、眠る時は別だ。すっかり馴染んだ、夏でもひんやりとした肌が心細さを慰めてくれるから。