メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

1章:古代神器の魔法 - 10 -

 病室を出た後、ここへ来た時と同じように巨大なエレベータに乗り、上甲板に上がった。すれ違う兵士達は、ルーシーにエスコートされる飛鳥を見て、怪訝そうにしている。

“保護した子供”

“歩かせていいのか?”

“隔離室から出していいのか?”

“艦長と子供だ”

“どこへ行くんだ?”

“なぜ外に……”

 集団の思考を読み取るのは、やはり気力を要する。いろいろ情報を集めたかったが、目の奥が痛くなり、途中で諦めた。
 ここへ来た四日前に比べて、大分周知されてる印象を受ける。
 思考を読む限りでは、飛鳥が隔離室に閉じ込められていることを、大体の者が知っている様子だ。
 上甲板の船尾へ行くほど人は減り、内装は豪華になった。すれ違う兵士も、立派な正肩章や勲章をつけている。限られた人間しか、出入り出来ないのかもしれない。
 最奥の豪華船室に続く入り口は、円形の金色に縁取りされた回転扉で、中に入ると温室のような硝子張りのロビーになっていた。大きな窓から外の様子がよく見える。
 贅沢な百八〇度のパノラマ・スカイ・ビュー。まるで空飛ぶ豪華客船だ。
 美しいミューラル・デコレーションの装飾天井。透かし彫りの硝子窓。落ち着いた飴色で統一された調度品、淡いオレンジ色のランプ……。
 高級船室がずらりと並ぶ廊下は、淡いベージュカラーの壁紙に、精緻なモールディングの装飾で統一されている。
 別世界のような光景に、ここが軍艦であることを忘れそうになる。
 足を止めて目を奪われている飛鳥の様子を、ルーシーは優しい眼差しで見下ろしている。これまで見せたことのない、慈しみに溢れた微笑みすら浮かべて。
 廊下の突き当りは艦長室らしい。ルーシーはその手前にある扉を開けると、どうぞ、と言うように飛鳥の背を押した。
 ペパーミント・カラーで統一された室内に、心安らぐラベンダーの香りが漂う。女性らしいインテリアの、スィート・ルームのように豪華な部屋だ。

『アスカ、*********』

“気に入った?”

 ルーシーの期待に満ちた表情を見て、飛鳥は引き攣った笑みを浮かべた。とても素敵な部屋だが、素敵過ぎて、リラックス出来そうにない。
 入り口で立ち尽くしていると、エスコートされてソファーに座らせられた。シャンパン・ゴールドの布張りの立派なソファーだ。腰を下ろすと、身体がどこまでも沈んでいく。素晴らしい座り心地だ。
 親切なルーシーは、手ずから紅茶を煎れてくれた。彼の親切が良心に突き刺さる。なんとも自分勝手だが、そんなに親切にしないで欲しい。

「ありがとうございます……」

 ぎこちなく感謝を告げると、ルーシーは「どういたしまして」と言うように微笑んだ。

『******……』

“離れ難いな……”

 口に含んだ紅茶を吹き出しそうになった。
 なんて破壊力だろう。表情筋を総動員させて、どうにか動揺を押し隠したが、心の中で声にならない悲鳴を上げた。
 ルーシーの豹変ぶりを見ていると、この空母を乗っ取ることも、不可能ではないように思えてくる。歯向かう人間に、片っ端から魔法をかければいい。皆が飛鳥に尽くしてくれる。
 やるわけないが――。
 魔法にかかったルーシーを見て、ロクサンヌは怪訝そうにしていた。慌てて彼女にも魔法をかけてしまったけれど、今度は別の誰かがロクサンヌの態度を見て、不思議に思うかもしれない。疑われる度に魔法を使っていたら切がない。
 現に今も、こんな立派な部屋に通された。人に理由を聞かれたら、ルーシーはどう説明するつもりなのだろう。

『アスカ、********?』

“疲れた?”

 頷きかけて躊躇う。判らない振りをするのも気を遣うものだ。
 ルーシーは飛鳥の隣に座ると、ゆっくり肩を抱き寄せた。身体を強張らせる飛鳥の緊張を解くように、優しい手つきで髪を撫でる。
 魔法は、ルーシーにどんな風に作用したのだろう。
 同性のロクサンヌは、魔法にかけられた後、飛鳥を妹のように気に掛けた。ルーシーはどうだろう。
 ルーシーに向き直ると、彼もまた飛鳥をじっと見つめた。大きな手で、飛鳥の頬を突いたり、撫でたりする。暴れ出しそうになるのを必死に堪えていると、親しげに鼻の頭をつんと指で突かれた。

『アスカ、*****』

“可愛い”

「――っ!」

 今、声に出して「可愛い」と言われた気がする。ルーシーにそんなつもりがないと判っていても、顔は燃えるように熱くなった。すごくドキドキする。

 ――子供扱いされただけ! 意識し過ぎだから! しかも魔法のせいなのに!!

 一度意識してしまうと、親密な距離に冷静ではいられなくなった。顔が近すぎる。大袈裟なくらい顔を背けると、肩に大きな手が乗る――。

「あのっ」

 声を上げると同時に、扉をノックする音が聞こえた。
 救われた思いで扉を見ると、ルーシーも扉に向かって、入れ、というように声をかけた。