メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -
4章:出航 - 3 -
黄昏。
飛鳥は、エルヴァラートと面会する為に『茜射す黄金の間』に案内された。
名前の通り、大きな硝子窓から西日が降り注ぎ、白と琥珀色を基調とした内装を、とろりとした茜色に染め上げている。
窓辺から黄金色に染まる空を眺めていると、間もなくエルヴァラートが武装親衛隊と共に部屋を訪れた。
若き皇帝は、天使の微笑みを浮かべて「アスカ」と、友好的に両手を広げる。おずおずと近付くと、ほっそりとした少年に抱きしめられた。
まだ線の細い少年だ。飛鳥よりも全体的に細いかもしれない……。
意外としっかりとした抱擁の後、座って、というようにエルヴァラート自ら椅子を引いてくれた。自分も飛鳥の隣に座ると、ぱんっと手を叩いてメイドを呼ぶ。
間もなく、非常に高価そうな紅縞瑪瑙 のテーブルの上に、ワインボトル、硝子のワイングラスが並べられた。
『******!』
“とっておきのワインであるぞ”
エルヴァラートは眩しい笑みを浮かべた、
ふと胸に、未成年……と懸念が胸を過 ったが、エルヴァラート自らグラスに注いでくれた上に“遠慮するでない”とまで言われては、飲まないわけにはいかない。ここで日本の法律を気にする必要もない。第一、皇帝陛下は飛鳥よりも年下だ。
生まれて初めてのワインの味は、苦いけれど、香りが素敵で、不思議な高揚感と余韻をもたらした。
“心で会話するというのは、なかなか新鮮であるな。人に聞かれる心配がないのが素晴らしい”
飛鳥は控えめに頷いた。会話と言っても、飛鳥は受け取ることしか出来ないので、基本的にエルヴァラートの独白に相槌を挟む程度だ。
“ここから眺める夕陽は、バビロン随一と、母上は褒めておられた”
『はい』
確かに素晴らしい景観だ。尚、彼の父親は戦死しているが、母親――皇太后は健在だとファウストから聞いている。
“残念ながら、母は今不在でな。ぜひ会って欲しかったのだが……空を翔けるのが好きな人で、今は巡洋艦の艦長を務めている。城には殆ど戻らぬ”
「ファウストから聞きました。格好いい女性ですね」
飛鳥が好意的に微笑むと、まるで言葉を理解しているように、
“そうであろ”
とエルヴァラートは満足そうに応えた。母親への愛情が窺える、好ましい笑顔だ。
“ローズド・パラ・ディアから見る空はどうであった?”
「綺麗でした」
甲板から眺める空を思い浮かべて答えた。殆どの時間を、窓のない隔離室で過ごしたが、たまに外へ連れ出される度に、悠然とした空には目を奪われたものだ。
“困った伯父で済まぬな。アスカには大分迷惑をかけたようだ”
ルジフェルのことだ。飛鳥の表情も自然と厳しくなる。エルヴァラートは苦笑ぎみに応えた。
“……伯父とは錯雑とした関係でな。長く敵対していたが、私が帝位に就いた後は、懐刀を務めてくれている。更迭 を勧める声もあるが、魔導学における天才でな。彼なくしては、バビロンは成り立たぬ。彼もまた、バビロンを愛しているんだ”
「彼は罰せられないのですか? リオンは、あんな目に合ったのに」
非難めいた口調で尋ねると、エルヴァラートは察したように“うむ”と頷いた。
“伯父には貸し一つだ。リオン大尉は、内部諜報の罪を考えれば除隊もやむを得ぬが、人望も腕もある操縦士のようで、ルーシーは情状酌量を認めている”
「ローズド・パラ・ディアに残れるんですか?」
“彼には職務に励むことで購 ってもらう。表立っては処理せぬ”
「良かった」
飛鳥は顔を輝かせた。リオンとはあれから会っていないが、重い処罰を受けるわけではなさそうだ。職場に戻れるということは、独房からも出られるのだろう。
“さて……そなたにとって、どうすることが一番であろうな”
いよいよ、今後についての話だ。飛鳥は姿勢を正すと、緊張した面差しでエルヴァラートを見つめた。
“城に残りたければ、客人として丁重に迎え入れることもできるが……”
彫像のように強張った表情の飛鳥を見るや、皇帝は苦笑を漏らした。
“そなたには、可能なだけの選択肢を与えよう。古代神器への調査には、協力してもらうが、城に留まる必要はない。もちろん城に残ってもいいし、バビロン魔導学校への編入を希望するなら、手配しよう。世界五大学府に数えられる名門校であるぞ。或いは……ローズド・パラ・ディアに戻っても良い。アスカはどうしたい?”
選択肢を与えられたことに、飛鳥は眼を瞠った。
どうしたいか考えて、真っ先にルーシーの顔が思い浮かぶ。でも、ルーシーはどうだろう……?
ルーシーの都合を考え逡巡していると、エルヴァラートは語りかけるように言葉を続ける。
“……母上は進取の気に富んだ女 で、皇妃に就くまで、空賊の船長を務めていた。父上が戦死した後は、幼い私の為に城に留まってくれたが、我慢を強いることが忍びなくてな。帝冠してようやく自由を差し上げられた。私達は互いに大きな幸せを得たのだ。私は私で、早く帝位がほしかったのでな”
艦長を務めているとは聞いていたが、空賊とは初耳である。さぞ進取の気に富んだ人なのだろう。
“母上を見てきたから、よく判る。好きに生きよ。悲歎 に暮れれば、いかな富に暮らせど人は老いる。逆も然り、希望の空を仰ぐ限り、どれだけ老いても人は青春を翔ける”
あどけない天使の容貌に反して、ふと見せる眼差しは、長い旅を終えた賢者のように思慮深い。彼の心もそうだ。とても静謐で深い。傍にいると、ルーシーとはまた違った安心感がある。
“それにな、実はルーシーから、アスカをローズド・パラ・ディアで預かりたいと言われている”
「え……」
“そなたを無事に届けた褒美は、それが良いと言うのだ”
本当だろうか? そんなことは、ここへ来るまで、一度も彼の口から聞いていない。
信じられずにいると、エルヴァラートは楽しそうに、きらりと瞳を光らせて飛鳥に笑いかけた。
“艦には、魔導学に通じるファウストも、アダマンティスも常駐している。研究に差し支えはないであろ。私はルーシーに褒美を与えても良いと思うのだが、そなたはどうであろ?”
じわじわと、喜びが胸のうちに溢れてきた。ルーシーは、本当にエルヴァラートにそう言ってくれたのだろうか?
アダマンティスとは誰だという疑問も浮かんだが、そんなことより、ルーシーが進言してくれたと知った喜びの方が大きい。
“ゴットヘイルの件では、伯父に一つ貸しができた。私が印可をくだせば、認めるしかないであろ。そなたの好きに決めて良い”
「ルーシーと、一緒にていてもいいのでしょうか?」
縋るように問いかけると、エルヴァラートは大人びた笑みを浮かべた。
“艦がバビロンを発つまで、まだ数日ある。ルーシーと話すが良い。そなたさえ良ければ、ルーシーにその旨伝えておくが?”
『はい! ありがとうございます、陛下』
“良い。ところで、そなたは稀なる魅了の力を使えると聞いたのだが……”
「え……」
飛鳥は途端に笑みを消した。しかし、エルヴァラートは逆に笑みを深めた。
“私にかけろとは言わぬ。取り返しのつかぬことを口走っては、大変であろ”
「そうですよね」
飛鳥は大袈裟なほど肩から力を抜いた。彼に魔法をかけろと言われたら、どうしようかと思った。
“ただ、ファウストの話では、あのルーシーが別人のように変貌したと聞いてな。見てみたかった! 私は遠慮するが、人にかけるところは見てみたいものだ”
無邪気な笑顔は、彼を初めて年相応の少年に見せた。心の片隅に、ルーシーをからかってやろう、という悪戯心が透けて見える。
皇帝の困った好奇心に、飛鳥は苦笑いで応えたのだった。
飛鳥は、エルヴァラートと面会する為に『茜射す黄金の間』に案内された。
名前の通り、大きな硝子窓から西日が降り注ぎ、白と琥珀色を基調とした内装を、とろりとした茜色に染め上げている。
窓辺から黄金色に染まる空を眺めていると、間もなくエルヴァラートが武装親衛隊と共に部屋を訪れた。
若き皇帝は、天使の微笑みを浮かべて「アスカ」と、友好的に両手を広げる。おずおずと近付くと、ほっそりとした少年に抱きしめられた。
まだ線の細い少年だ。飛鳥よりも全体的に細いかもしれない……。
意外としっかりとした抱擁の後、座って、というようにエルヴァラート自ら椅子を引いてくれた。自分も飛鳥の隣に座ると、ぱんっと手を叩いてメイドを呼ぶ。
間もなく、非常に高価そうな
『******!』
“とっておきのワインであるぞ”
エルヴァラートは眩しい笑みを浮かべた、
ふと胸に、未成年……と懸念が胸を
生まれて初めてのワインの味は、苦いけれど、香りが素敵で、不思議な高揚感と余韻をもたらした。
“心で会話するというのは、なかなか新鮮であるな。人に聞かれる心配がないのが素晴らしい”
飛鳥は控えめに頷いた。会話と言っても、飛鳥は受け取ることしか出来ないので、基本的にエルヴァラートの独白に相槌を挟む程度だ。
“ここから眺める夕陽は、バビロン随一と、母上は褒めておられた”
『はい』
確かに素晴らしい景観だ。尚、彼の父親は戦死しているが、母親――皇太后は健在だとファウストから聞いている。
“残念ながら、母は今不在でな。ぜひ会って欲しかったのだが……空を翔けるのが好きな人で、今は巡洋艦の艦長を務めている。城には殆ど戻らぬ”
「ファウストから聞きました。格好いい女性ですね」
飛鳥が好意的に微笑むと、まるで言葉を理解しているように、
“そうであろ”
とエルヴァラートは満足そうに応えた。母親への愛情が窺える、好ましい笑顔だ。
“ローズド・パラ・ディアから見る空はどうであった?”
「綺麗でした」
甲板から眺める空を思い浮かべて答えた。殆どの時間を、窓のない隔離室で過ごしたが、たまに外へ連れ出される度に、悠然とした空には目を奪われたものだ。
“困った伯父で済まぬな。アスカには大分迷惑をかけたようだ”
ルジフェルのことだ。飛鳥の表情も自然と厳しくなる。エルヴァラートは苦笑ぎみに応えた。
“……伯父とは錯雑とした関係でな。長く敵対していたが、私が帝位に就いた後は、懐刀を務めてくれている。
「彼は罰せられないのですか? リオンは、あんな目に合ったのに」
非難めいた口調で尋ねると、エルヴァラートは察したように“うむ”と頷いた。
“伯父には貸し一つだ。リオン大尉は、内部諜報の罪を考えれば除隊もやむを得ぬが、人望も腕もある操縦士のようで、ルーシーは情状酌量を認めている”
「ローズド・パラ・ディアに残れるんですか?」
“彼には職務に励むことで
「良かった」
飛鳥は顔を輝かせた。リオンとはあれから会っていないが、重い処罰を受けるわけではなさそうだ。職場に戻れるということは、独房からも出られるのだろう。
“さて……そなたにとって、どうすることが一番であろうな”
いよいよ、今後についての話だ。飛鳥は姿勢を正すと、緊張した面差しでエルヴァラートを見つめた。
“城に残りたければ、客人として丁重に迎え入れることもできるが……”
彫像のように強張った表情の飛鳥を見るや、皇帝は苦笑を漏らした。
“そなたには、可能なだけの選択肢を与えよう。古代神器への調査には、協力してもらうが、城に留まる必要はない。もちろん城に残ってもいいし、バビロン魔導学校への編入を希望するなら、手配しよう。世界五大学府に数えられる名門校であるぞ。或いは……ローズド・パラ・ディアに戻っても良い。アスカはどうしたい?”
選択肢を与えられたことに、飛鳥は眼を瞠った。
どうしたいか考えて、真っ先にルーシーの顔が思い浮かぶ。でも、ルーシーはどうだろう……?
ルーシーの都合を考え逡巡していると、エルヴァラートは語りかけるように言葉を続ける。
“……母上は進取の気に富んだ
艦長を務めているとは聞いていたが、空賊とは初耳である。さぞ進取の気に富んだ人なのだろう。
“母上を見てきたから、よく判る。好きに生きよ。
あどけない天使の容貌に反して、ふと見せる眼差しは、長い旅を終えた賢者のように思慮深い。彼の心もそうだ。とても静謐で深い。傍にいると、ルーシーとはまた違った安心感がある。
“それにな、実はルーシーから、アスカをローズド・パラ・ディアで預かりたいと言われている”
「え……」
“そなたを無事に届けた褒美は、それが良いと言うのだ”
本当だろうか? そんなことは、ここへ来るまで、一度も彼の口から聞いていない。
信じられずにいると、エルヴァラートは楽しそうに、きらりと瞳を光らせて飛鳥に笑いかけた。
“艦には、魔導学に通じるファウストも、アダマンティスも常駐している。研究に差し支えはないであろ。私はルーシーに褒美を与えても良いと思うのだが、そなたはどうであろ?”
じわじわと、喜びが胸のうちに溢れてきた。ルーシーは、本当にエルヴァラートにそう言ってくれたのだろうか?
アダマンティスとは誰だという疑問も浮かんだが、そんなことより、ルーシーが進言してくれたと知った喜びの方が大きい。
“ゴットヘイルの件では、伯父に一つ貸しができた。私が印可をくだせば、認めるしかないであろ。そなたの好きに決めて良い”
「ルーシーと、一緒にていてもいいのでしょうか?」
縋るように問いかけると、エルヴァラートは大人びた笑みを浮かべた。
“艦がバビロンを発つまで、まだ数日ある。ルーシーと話すが良い。そなたさえ良ければ、ルーシーにその旨伝えておくが?”
『はい! ありがとうございます、陛下』
“良い。ところで、そなたは稀なる魅了の力を使えると聞いたのだが……”
「え……」
飛鳥は途端に笑みを消した。しかし、エルヴァラートは逆に笑みを深めた。
“私にかけろとは言わぬ。取り返しのつかぬことを口走っては、大変であろ”
「そうですよね」
飛鳥は大袈裟なほど肩から力を抜いた。彼に魔法をかけろと言われたら、どうしようかと思った。
“ただ、ファウストの話では、あのルーシーが別人のように変貌したと聞いてな。見てみたかった! 私は遠慮するが、人にかけるところは見てみたいものだ”
無邪気な笑顔は、彼を初めて年相応の少年に見せた。心の片隅に、ルーシーをからかってやろう、という悪戯心が透けて見える。
皇帝の困った好奇心に、飛鳥は苦笑いで応えたのだった。