人食い森のネネとルル

1章:底なし沼の珍事と共生のはじまり - 5 -

 ネネは目を瞠って少年と、腕の中の火石リンタイトを見比べた。何から聞けばいいのか分からない。

「此処に置くね?」

 そういって少年は、勝手に古びた木製の机の上に、抱えていた石を全て置いた。
 ネネは机の上に置かれた石を一つ手に取ると、信じられない気持ちで穴が開くほど見つめた。

「これ……っ、本物!? アンタッ、どうやって……!」

「私に出来ないことはないの」

 少年に得意そうに見下ろされて、ギクリとした。
 遠目には華奢な少年に見えたけれど、こうして並ぶと、ネネより頭一つ分は背が高い。それなりに鍛えているネネよりも、少年の体躯はずっとしっかりしていた。決して小さくない火石が、大きな掌にすっぽり納まっている。ネネの手と全然違う……。

「嬉しい?」

「……」

 どう答えればいいか分からなかった。見るからに上質の火石だ。これだけあれば、しばらく生活に困らないだろう。もらえるものなら、もちろん欲しいが……。

 ――嬉しいって答えたら、取引成立しちゃう? それは困る……。

「それじゃあ、約束。貴方の傍にいさせてね?」

「――ッ!?」

 何も言っていないのに、少年は勝手に結論を出して、ネネをぎゅっと両腕で抱きしめた。驚き過ぎて声も出ない。

「貴方、獣臭い……」

 ――はぁ?

 ネネは眉を潜めた。そういえば、納屋で猪をさばいた。汚れは落としたし、着替えたけれど、髪に匂いがついているのかもしれない。

「血と臓物ぞうもつの匂いがする……。どうして?」

「猪を捌いたんだ。離せよ」

 押しのけようとしても、腕の力は緩まなかった。それどころか、首筋に顔を寄せて、スンスンと匂いを嗅いでいる。吐息が肌に触れて、カァッと首と顔が熱くなった。

「離せってば!」

 びくともしない腕が怖くなり、本気でもがいたが、それでも少年は離そうとしなかった。

「獣の匂いが混じってるけど……、貴方はいい匂いだ。お腹空いたちゃったよ……、少しちょうだい?」

「何を――、ひっ」

 首筋をべろりと舐められた。ぞぉっと背筋が冷えて、少年の袖や上着を思いっきり引っ張り無我夢中で暴れた。

「静かに」

 両手で頬を挟まれ、強制的に目を合わせられた。爛々と輝く青い目に捕らわれる――……。
 途端に身体の自由が利かなくなった。
 逃げ出したいのに、少年の腕の中で人形のように立ち尽くしている。肩にかかる髪の毛をそっと払われて、首筋を露わにされても、自分の意志ではどうしても逃げ出せなかった。

 ――動けない……! 食われるっ!?

 首からかじられるんじゃないかと思った。けれど、少年は首筋を舐めたり、むように甘噛みするだけで、実際に食いちぎったりはしなかった。何度も肌を吸われるうちに、違う意味でドキドキしてきた。

 ――コイツは一体、何がしたいんだ……!

 ネネの肩の上で大人しくしていた手が、するりと鎖骨を撫でた。羽のような触れ方に、身体が震える。心の中で声にならない悲鳴を上げていると、ふっと硬直が解けた。

「――ん、美味しかった」

「う……っ、ぅ」

 硬直が解けた途端、おかしいくらいに、心臓がバクバクと音を立て始めた。足が震えて、崩れるように床にへたりこむ。

「あれ? 吸い過ぎた? ごめんね、久しぶりだったから……」

 少年は床に片膝をつくと、ネネに目線を合わせて、済まなそうに謝罪した。

「アンタ……、本当に一体、何なんだ?」

「私? なんだろうね……」

「魔性のたぐいだろ? アタシに、何した?」

「少し、精気を分けてもらったの。動ける? 大丈夫、少し休めば、治ると思うから」

「本当か……?」

 思ったよりも、不安そうな声が出た。知らないうちに、寿命を吸われていたら嫌だ。
 少年は優しい笑みを浮かべると、するりとネネの頬を撫でた。

「本当だよ。ほら、運んであげる」

 子供にするように、両脇に手をさしこまれて、ひょいと持ち上げられた。嘘みたいに、簡単に身体が浮き上がる。

「い、いいよ……、歩けるから」

 しかし、足を踏み出した傍から、くらりと眩暈がした。身体中から力が抜けて行く――。

「ほらほら……」

 意識が切れる瞬間、妙にのんびりした少年の声が聞こえた……。