人食い森のネネとルル

2章:ルルの秘密 - 10 -

 調査隊に隠れて暮らす狩猟生活も、ネネ一人食べて行く分には困らなかったが、一度街へ降りることに決めた。

「本当に行くの?」

 意外にも、ルルは反対した。
 ついこの間まで、いつまで森で暮らす気だの、街で買い物をすればいいとさえ言っていたのに。

「行くよ。森をうろつく調査隊の数も減って来ているし……、領主から新しい発布がされているかもしれないから」

「それなら、私が代わりに見てくるよ」

「ルルの外見は目立つから駄目。今回はアタシ一人で行く」

「そんなの、絶対に駄目っ!」

「アタシとの約束、その五! アタシの言うことは、守ること!」

 ルルは凄く反抗的な目をした。ネネは「イヒヒッ」と意地悪く笑うと、ルルの青銀色の髪をくしゃくしゃに撫でまわした。
 猟師の恰好だと目をつけられるかもしれないから、以前街で買った裾の長いワンピースに着替えた。ルルはしきりに「ネネ、可愛い」と褒めてくれる。娘らしい恰好をしたのは、生まれて初めてのことだ。足がスースーして落ち着かないが、絶賛してくれるルルを見ると悪い気はしなかった。
 服が汚れるからと、ルルはネネを片腕に抱き上げて、森の入り口まで見送ってくれた。

「それじゃ、日暮れまでには戻るから」

「気をつけてね」

 なんとなく後ろ髪を引かれながら、街へ向かった。ちらりと振り返るたびに、ルルが手を振ってくれる。いよいよルルの姿が見えなくなる寸前、ネネの方から手を振り上げた。

 ――アタシ、心細いって思ってる……?

 そんなわけあるか、と首を振り、森を抜けてカタルカナユ・サンタ・ガブリールの街へ入った。
 早速、中央広場に足を運んだ。掲示板には催し物の知らせや、商店の知らせが所せましと貼ってある。その中に、領主の名前がサインされた飴色の羊皮紙も貼ってあった。

 ”ミゼルフォールの森の監察強化について

 立入禁止区域より奥には、決して立ち入らぬこと。
 調査隊より目撃情報が寄せられており、見つけ次第、厳罰に処す。
 引き続き、怪奇調査を行うものとする。

 尚、森の掟に触れる行為は、見つけ次第、厳罰に処す。

 ~森の掟 基本原則~
 ・無断で木を取った者には、銀貨三枚の罰金を課す
 ・木を取り去り、酷い状態にした者には銀貨三枚の罰金を課す
 ・無断で狩猟したものには銀貨五〇枚の罰金を課す
 ・立入禁止区域を越えた者には、銀貨五〇枚の罰金を課す
 ・直径の小さい木、或いは風で倒れた木のみ運びだせるものとする
 ・上記に加え、決められた日、時間外の持ち運びは銀貨五〇枚の罰金を課す

 カタルカナユ・サンタ・ガブリール領主
 大司教ミハイル・アルベルト”

 目撃情報、という言葉にドキリとさせられた。

 ――アタシのことじゃ、ないよね……。まさか、この間の子供……?

「こんにちは、お嬢さん」

 背中に声をかけられて、飛び上がりそうなほど驚いた。
 恐る恐る振り向くと、純白の聖職衣を着た男が立っていた。胸には、高位神官と思われる純銀のブローチをつけている。
 ネネよりずっと大人で、上品な香をまとっている。白い肌に、淡いプラチナブロンドのオールバック、酷薄なアイスブルーの瞳に銀縁の眼鏡。玲瓏れいろうとした美貌の男だ。
 警戒も露わに眉をひそめるネネを見て、男はふわりと微笑んだ。

「すみません、驚かせてしまいましたか?」

「アンタ、誰……?」

「私は、ミハイル・アルベルトと申します」

 思わず「えっ」と声に出た。発布に記された名前と同じだ――。

「ふふ、そのように瞳を丸くして、満月みたいですね」

「領主……様、ですか?」

「はい。どうぞ、お気軽にミハイルとお呼びください」

「いえ、その……」

 領主といえば、この街のトップも同然だ。どんな言葉を遣えばいいのか判らない。困惑するネネに構わず、ミハイルは楽しそうに喋り出した。

「お嬢さんのお名前を、聞いてもよろしいですか?」

「ネネ……」

 ――どうしよう、市民登録なんてしていない。姓を聞かれたら、何て答えよう……。

「可愛らしい名前ですね。ネネは、何処に住んでいるのですか?」

「あ……」

 ミハイルのアイスブルーの瞳が、眼鏡の奥できらりと光った。怖くて後じさると、耳に馴染んだ声が聞こえた。

「――ネネ」

 考えるよりも先に、駆け出していた。フードで顔を隠していてもルルだと判る。広げた腕の中に、迷わず飛び込むと、ぎゅっと抱きしめてくれた。

「失礼、用事がありますから」

 ルルは冷たい声で告げると、ミハイルの返事も待たずに、ネネの肩を抱いたまま歩き出した。
 街中の人間が、自分を知っているような気がして、ネネは森に着くまで顔を上げることができなかった。




 翌日。人食い森に、大勢の調査隊が送り込まれてきた――。