人食い森のネネとルル

2章:ルルの秘密 - 9 -

 ミゼルフォールの森の監察強化が発布されてから十日。
 今では昼夜を問わず、人食い森に人が出入りしている。
 立入禁止区域の奥で密かに暮らすネネは、いつも以上に慎重に行動し、調査隊の人数が多い時は、棲家から出ないようにしていた。

 自由に出歩けないストレスのせいか、ネネは途中で高熱を出して寝込んでしまった。
 前後の記憶がいまいちはっきりしないのだが、目を覚ました時に、ルルが必死にネネの名前を呼んでいたことだけは覚えている。どっちが病人か分からない、蒼白な顔を見て、思わず笑ってしまった。ルルは増々泣きそうな顔をして、ネネの膝元に縋りついてきた。

 ――ルルって寂しがり屋だなぁ……、魔性のくせに。でも仕方ないか。光も射さない沼底にずっと一人だったんだから。人恋しくもなるよね……。

 高熱を出して倒れた後、二日かけて復調した。
 森を調査隊がうろついているが、そろそろ狩に出掛けないと食料が尽きる。寝込んでいる間に、幾つか食材を無駄にしてしまったし……。
 狩り支度をするネネを見て、ルルはすごく不満そうな顔をした。

「だから、街に降りて買ってくればいいじゃない」

「だから、何度も言わすな。森の入り口に調査隊の詰所まで出来たんだ。下手に動けば見つかるんだってば」

 ルルはフンと鼻を鳴らした。

「私一人なら、見つからずに行けるよ」

「自分で食べる物くらい、自分でどうにかする」

「ネネの頑固者……」

「うっさいな」

 ふと、聖銀矢を矢筒に詰めようとして、残数が合わないことに気づいた。

「あれ、随分減っている?」

 気になって、狩猟道具を全て確認してみたら、他にも幾つか足りない消耗品があった。まるで、狩に出掛けた後みたいだ。

「――どうしたの?」

「ん、矢じりの数が合わなくて」

「それって、大変なこと?」

「いや……、まだ予備あるし、大丈夫」

 ネネは首を振って答えた。
 狩猟ローブのフードを被り、大型クロスボウを背負うと棲家を出発した。
 睡蓮沼の辺りは、調査隊が多いので迂闊に近寄れない。
 人目を避けて遠くまでやってきたが、狩場に不慣れなせいで探索に時間がかかり、鹿や猪の痕跡を見つけることは出来なかった。
 野兎に的を絞って、矢を射る。
 シュッ!
 急所を外さず、一発で仕留めた。我ながらいい狩りの腕をしていると思う。このまま森が落ち着けば、いつか猟師として生計を立てていきたい。
 合計三羽の兎と、大きな雉を仕留めた。不慣れな狩場にしては上々だ。
 日が暮れる前に棲家へ戻ろうとしたら、小さな足音が聞こえてきた。
 体勢を低くして、様子を伺う。ネネは耳がいい。足音で、およその体格を当てることができる。だから、足音の持ち主を思い浮かべて、目を見開いた。

 ――子供の、足音……?

 泣く子も黙る「人食い森」である。屈強な男共の集結する、調査隊ですらヒィヒィ言っているのに、小さな子供が一体なんだってこんな所へ……。
 もう少し近づいてみようかと迷っていると、か細い少年の声が聞こえてきた。

「お姉ちゃん……?」

 ――お姉ちゃん? 迷子か……?

「ネネ」

 気づけば、さっきまで幹の上にいたルルが、ネネのすぐ後ろにいた。腕を掴んで引き留めようとするので、口に人差し指をあてて「静かに」と制す。ルルは不満そうにしながら引き下がった。

「こんな所で、何してる?」

 子供の背後から声をかけたら、「ヒャッ」と高い声を上げて、尻餅をついた。どう見ても、害はなさそうだ……。
 ネネが警戒を解いて姿を見せると、子供は花が綻ぶような笑顔を見せた。

「お姉ちゃん! こないだは、たくさんの銀貨をありがとう! 欲しかった薬、買えたんだ! 予備まで買わせてもらったんだ……、それでも銅貨のお釣りがこんなにあるから、返そうと思って……」

 ――何、言ってるんだ、この子……。

 反応がないネネを見て、子供は不安そうにしている。

「あの……、銀貨、たくさん使ってしまって、ごめんなさい……」

 ふと、子供が右手に手袋をしていることに気づいた。話は見えてこないが、この子供は恐らく奴隷なのだろう……。そう思うと、無下には出来なかった。

「何の話かわかんないね。でも……、もらったものは、もう自分のものだ。その銅貨も、返そうなんて思わずに、自分の為に使いなよ」

「でも……」

「いいから。それより、誰を探しているのか知らないけど、こんな森の奥にはもう来るな。もうすぐ日が暮れる。入り口の傍まで送ってやるから、ここで見たことは――」

「誰にも言わないよ! 母さんにも話していないんだ。お姉ちゃんのことは、絶対に誰にも言わないから」

 子供は翡翠の目をキラキラと輝かせて、ネネを見上げた。新緑を思わせる綺麗な瞳を見て、ふと既視感に襲われた。
 何故だか初めて会った気がしない。もしかして、街ですれ違ったことがあるのだろうか……。
 森の入り口の傍まで送ってやると、子供は大分離れた所でこちらを振り返り、元気よく手を振ってから駆けていった。

 ――お姉ちゃん、か……。

「ネネ、日が暮れる」

「――ごめん! 寄り道した、帰ろう」

 最後にもう一度だけ、子供の駆けていった方を見つめた。
 ルルに急かすように名を呼ばれて、思考を切り替えると、静かに、誰にも悟られないように棲家へと帰った――。