人食い森のネネとルル

4章:ネネとルルと恋心 - 6 -

 堂内に引き返そうかどうか迷っているうちに、背後で扉が開き、思わず不自然に映らぬよう回廊を歩き続けた。
 慣れないかかとのある靴を履いているせいで、足が痛い……。
 美しい中庭に白いウッドチェアを見かけると、誘われるようにふらふらと近寄り、腰を下ろして足を伸ばした。
 後れ毛を撫でていく、そよ風が心地いい……。
 ふと、回廊の奥の方から、楽しげな娘達の声が聞こえてきた。何だろう……と振り返り、思わず呼吸が止まりそうになった。

 ――ルル!? な、何でここへ……。もしかして、アタシに気づいた……?

 慌てて立ち上ると、パーゴラの柱の陰に隠れた。
 柱の影から様子を伺うと、ルルは着飾った華やかな娘達に囲まれて、親しげに腕を絡ませていた。
 何だか、妙に腹が立つ。
 ネネを探しに来たわけではないのだろうか。
 可愛い娘を連れて、中庭に散歩にでも来たのだろうか。だとしたら、のこのこ出て行って、声をかけるのも野暮だ。
 第一、どんな言葉をかければいいか判らない……。
 ふて腐れた気持ちで、青空を見上げた。
 ルル達が通り過ぎたら、こっそり回廊を通って堂内に戻ろう。

 ――でも、一言くらい……、声をかけて帰ろうかな。せっかく会えたんだから、あの時はごめんって、それだけでも……。

 よし、一、二の三で柱の影から出ようと決めた。
 そう思った矢先、娘達の残念そうな声が聞こえてきた。今度はどしたというのだろう。勢いを削がれてしまい、結局柱の影から出られない。
 引き続き様子を伺っていると、ルルは娘達と別れて、一人で中庭へと降りてきた。

 ――あれ……、あの子達と、一緒に行かないのかな……。

 よし、と心中で固く決意する。
 今度こそ、一、二の三で柱の影から出るのだ。

「――ネネ」

 驚きの余り、心臓が口から飛び出るかと思った。
 ルルはネネがここにいることに気づいているのだろうか。はっきりと、名前を呼ばれた。この耳で聞いた。
 ルルはネネを探していたのだ。
 胸の内に、ふわりと暖かな気持ちが生まれた。急にドキドキしてきた。しかし――返事をしようと口を開いたら、ふいに別の声が聞こえた。

「マスター」

 恐ろしいミハイル・アルベルトの声だ――。

 ――マスター? ルルのこと……?

 そっと柱の影から様子を伺うと、美貌の領主、ミハイルは恭しくルルに頭を垂れていた。ルルは冷たい眼差しで見下ろしている。
 さっきとは別の意味でドキドキしてきた。
 どうして、ミハイルはルルに頭を下げたりしているのだろう。マスターという呼びかけと言い、まるでルルに仕えているようだ。
 胸の内に、ルルへの疑惑が膨れ上がる……。

”ルルは――リヴィヤンタン。見るものを魅了し、堕落させる、恐るべき闇の生き物。魂を抜かれた人間は、未来永劫、昏い闇に囚われる――”

”ネネは騙されているんです。あの魔性は昔、王都を恐怖に陥れた悪魔です。人の心を操り、精気を貪る……”

 暗い思考を振り払うように、勢いよく頭を左右に振った。

 ――決めつけるな! ルルの口から聞くまでは、何も信じない……!

 固唾を呑んで見つめていると、ミハイルはルルの手を恭しく取り、唇を寄せようとした――。
 カッと怒りが込み上げた。ネネやルルに、あんなに酷いことをしたくせに。

 ――ルルに触るな……!

 腰のベルトからカタパルトを抜こうとして、手が滑った。そうだ、ドレスを着ているんだった。とっさに靴を脱いで、迷わずミハイルに向けて投げつけた。
 バシッと音を立ててミハイルの手に命中する。
 ルルとミハイルは、同時にこちらを振り向いた。

「あ……」

 一瞬、逃げ出そうか迷った。でも思い止まって、二人を睨みつけた。

「ルルに触るな!」

 ルルは弾かれたように、ネネに向かって駆け出した。風のように早いので、避けようがなかった。懐かしい腕に抱きしめられる。

「――ネネッ!」

「ルル」

 腰が折れそうなほど、きつく抱きしめられた。腕の感触が妙にダイレクトに伝わると思ったら、自分の恰好を思い出した。
 薄い布で肩も腕も足も出ていて、こんな恰好でルルに抱きしめられているなんて。急に恥ずかしくなって、手をついて離れようとした。

「ルル、ちょっと離れて……」

「ネネ……」

 ルルは少しも腕の力を緩めず、きつくネネを抱きしめ続けた。