3EMI - 転生した平凡令嬢が好感度マイナスの義兄から溺愛されるまで

2章:公爵邸をでようかしら? - 3 -

 エミリオは夏休みのうち七日間を公爵邸で過ごした。
 その間ずっと忙しそうにしていて、残念ながら一緒に秘密基地にいく時間はとれなかった。
 それでも、エイミーの投資計画を気にかけてくれていて、朝食の席などで顔をあわせた際には、いくつかの助言を与えてくれた。
 寄宿舎に戻った後はしばらく連絡が途絶えたが、新学期が始まり、大学のオリエンテーションが終わると、再び連絡をくれた。
 エイミーにとってそれは幸いだった。年内に投資を始めるつもりで、そろそろ口座を開設しなければならなかったからだ。相談すると、エミリオは並列化水晶バベルを通じて映像を共有しながら、さまざまな指摘をしてくれた。
 未成年ゆえ、口座開設には養親の承認が必要だったが、エミリオの助力によって、手続きの多くを自力で進めることができた。
 そして手続き開始から二ヶ月が経ち、予定通り三大証券会社に口座が開設された。さらに二十日後、初期資金一,二四〇,〇〇〇ルアー(約一億円)がエイミーの口座に振りこまれると、その額の大きさに、手が震えそうになったのも無理はない。
 十月の始め、エイミーは早速、資金を動かすことにした。
 銘柄の選定はエミリオと相談済みであり、養親にも報告を終えていたが、さすがに巨額だったため、最初の購入だけはエミリオと映像を共有しながら行った。
 五年に分割して投資を進める計画だが、一年目の資金投入は二四八,〇〇〇ルアー(約二千万円)にも達する。慎重に運用していくつもりでいるが、初回のみは一括購入に踏み切ったため、直後に発生したマイナスの数字が胃を締めあげた。
「長期投資は記憶喪失でいるくらいがちょうどいい」
 そんな助言を胸に刻みつつも、二週目には臆病風に吹かれ、リバランスを実施した。三週目、損益がトントンになったところで、エイミーはふと肩の力を抜き、数字を見ることをやめたのだった。

 十月の最後の週末に、エミリオは公爵邸に帰ってきた。
 夕方の茜空。斜陽が部屋に射しこむ頃、彼の到着の知らせを聞いたエイミーは部屋を飛びだし、一階のリビングルームへと駆けこんだ。義母に挨拶していたエミリオは振り向くと、エイミーを見て微笑を浮かべた。
「久しぶり、エイミー」
「お帰りなさい、お義兄さま!」
 エイミーは嬉しさのあまり、両手を伸ばしてエミリオに抱き着いた。と、遠慮と羞恥が沸きあがり、すぐに離れようとしたが彼も抱きしめ返してくれた。
「ただいま」
 おずおずと顔をあげると、菫色の瞳が驚くほど近くにあり、胸の鼓動が高鳴った。
「ピアスつけてくれたんだね」
「あ、うん。ありがとう」
 耳に視線を感じながら、エイミーはそっと体を離した。
「似合っているよ」
「ありがとう、すごく気に入っているの」
 エイミーは指で軽くピアスに触れた。
 誕生日にエミリオからもらった、紫水晶のピアスは、ライラックをモチーフにした繊細なデザインで、透明感のある石が、朝露をまとった花弁のように配置されている。垂れさがる水晶と鎖の連なりの先に、雫のような紫水晶が煌めきを放つ。
 耳のあたりに視線を感じて、頬が熱くなる。今日は髪をおろしてヘッドドレスで飾り、ピアスが引き立つように、淡雪のような銀灰色のドレスを纏っている。袖はふんわりと膨らみ、首元の白いレースは霜柱しもばしらを思わせる繊細さで縁取られていて、エイミーにしては甘めの衣装だ。
 ふと、エミリオの指が、エイミーの茶色い髪のひとふさを軽くつまんだ。
 エイミーはびっくりして、ぱっと顔をあげた。エミリオは、じっと髪を見つめていた。
「髪をおろしているの、初めて見た」
「……そう?」
 エイミーは視線を泳がせた。記憶をたどってみるが、確かにいつも結わいていたかもしれない。
 おろした髪がめずらしいのだろうか? エミリオは、手遊びのように、ゆるく巻いた髪に指先で触れている。
 なんだか気恥ずかしくて、エイミーは声をかけようか迷うが、エミリオの頭上に光の粒子が集まり始めたので、身動きをやめた。固唾を飲んで見守っていると、
「あなたたち、仲良くなったわねぇ」
 義母の言葉に、ふたりともはっとして距離をとった。ふふっと義母は微笑している。
「ふたりともかわいいわね。仲良くて嬉しいわ」
「和解したんです」
 エミリオがまじめな顔で答えている。気が逸れたのだろう、頭上に集まっていた光は霧散していた。
 数字の行方は気になるが、エイミーはエミリオに賛同しつつ、初々しい反応をからかう義母に応戦した。
 その夜は、家族そろって晩餐を共にした。
 秋の色彩が映える美しい料理がきょうされ、南瓜・秋茄子・舞茸・薩摩芋などの秋野菜を素揚げにしてハーブ酢を和えたマリネや、香ばしく焼きあげられたキノコのスープ、オレンジとオレガノドレッシングで和えたかぼちゃのソテー。そして公爵領のオーブリアーナ葡萄園で作られた、甘くすっきりした白いシャルドネが振舞われた。
 しばし食後の団欒を楽しんだ後、義母はシドニーを寝かしつけるために退室し、義父も書斎にいってしまうと、残されたエイミーとエミリオは、エイミーの部屋で話すことにした。
 私室に案内すると、メイドのサアラが心得たように、カモミールとラベンダーがブレンドされたハーブティーを淹れてくれた。その間、エミリオは興味深そうにエイミーの部屋を眺めていた。
 彼女も退室してしまうと、部屋にふたりきりだ。エイミーは少し緊張したけれど、エミリオが部屋にきてくれたことが嬉しかった。
「投資は順調?」
 感想にも無いという風に問いかけられたが、その声は穏やかで、エイミーに対する関心がうかがえた。
「なんとか。投資直後は毎日チャートを見ては……不安になって。ETF(上場投資信託)の変動に偏りが見えたので、少しだけリバランスしました。三週目で一定のバランスを維持して、今はあえて見ないようにしています。いじりたくなっちゃうから」
「リバランスの対象は竜貴金ドラゴン・ゴールドETFかい?」
「はい」
 エイミーは視線を伏せた。
 ETFは、株式市場に上場しているため、株式と同様に市場の需要と供給に応じてリアルタイムで価格が決定される。それは笑美の知識と同じだが、この世界の竜貴金ドラゴン・ゴールドETFの価格変動は、ドラゴン討伐や巣からの採掘頻度、竜貴金を要する大規模な魔法実験などに左右される。
 人気の金融商品だが、現実以上に情報収集や市場の動向に敏感である必要があり、あまり初心者向きとはいえない。
 同類の金融商品を買いこんだ自覚はあった。だって、竜貴金ドラゴン・ゴールドETFである。こんなにも投資浪漫をくすぐる商品があるだろうか? ……と、エイミーが力説したので、エミリオも養親も「まぁ、やってみなさい」という生暖かい視線で容認してくれたのだが、今思えば「失敗も経験のうち」という含みのある眼差しだった。
「軌道修正が早いのはいいことだよ」
 エミリオの手が、頭を撫でた。兄が妹にそうするように。
「最初の一週間は、夢のなかでもチャートを追いかけていました」
 エミリオはふっと微笑すると、菫色の瞳に悪戯めいた光を灯して、
「不安なら、一緒にポートフォリオを見てあげようか?」
「えぇっ、いいです。しばらく数字は見たくないの」
 反射的にエイミーはエミリオから距離をとった。
「あはは」
 珍しく、というか初めて、エミリオは声をだして笑った。嬉しくて、エイミーもつられるように笑った。
「なんとか年内に、投資を始めることができました。お義兄さまのおかげです」
「始めたのはエイミーだよ。無駄遣いはしていない?」
「していません。今年はもう様子見です。二年目からは新銘柄も追いかけていきたいけど」
「そうだね、気長に続けるといいよ。そのうち短期売買の肌感覚も掴めてくるだろうから。慣れるまでは、三ヶ月に一度ポートフォリオを眺めるくらいでちょうどいいかもしれないね」
「お義兄さまも?」
「いや、僕も最初のうちは毎日見ていたよ。これはもう、人の心理だよね。余裕が生まれると、逆に見なくなるのだけど。今は一年に一回くらいかな、しっかり自分で確認するのは。普段は顧問に任せてある」
 エミリオは十歳にして投資歴四年だ。六歳の頃から億単位を動かしているのだから末恐ろしい。そもそも公爵家には、すでにあまりあるほどの資産があるのだ。これ以上資産を増やす必要はないと思うが、そこは公爵家のたしなみである。
「お義兄さま、明日の予定は?」
 気分を変えるように、エイミーは訊ねた。
「特に決めてない」
 エイミーは目を瞬いた。エミリオに予定がないなんて珍しい……疑問を読みとったように、エミリオはじっとエイミーを見つめた。
「よかったら、乗馬しない?」
「いいね!」
 エイミーは二つ返事で答えた。エミリオは微笑みを浮かべ、
「秘密基地にもいきたい」
「もちろんよ」
 エイミーはにっこりした。
「良かった。明日、昼食の後にでかけようか」
「うん!」
「じゃあ、そういうことで……そろそろ部屋に戻るよ」
「うん、誘ってくれてありがとう」
 エミリオは、少し驚いた表情でエイミーを見た。
「?」
 エイミーが小首を傾げると、エミリオも小首を傾げた。艶やかな銀髪がさらりと流れ、目を奪われる。
「……いや、エイミーは妹なのに、時々大人びて見えるから不思議で」
 エイミーはぎくりとした。
「そう見えるなら、嬉しい。お義母さまをお手本にしているから」
「なるほどね」
 そういってエミリオは、席を立った。扉まで見送りにきたエイミーを振り返り、微笑を浮かべる。
「お休み」
「お休みなさい」
 優しい気持ちでエイミーは夜の挨拶を交わした。
 その日の夜は、明日が待ち遠しくてなかなか眠れなかった。興奮して眠れないなんて、笑美の記憶でも、はるか遠いかなたの出来事だ。