奇跡のように美しい人

3章:決意 - 6 -

 新星歴一九九七年。一〇月一〇日。
 旅立ちの日。
 軽装で時計塔を出ていく佳蓮を、誰もが通夜のような面持ちで見送った。世話になった侍女達、沈んだ表情のレインジール――その一人ひとりに視線を配り、佳蓮は努めて明るい笑顔を浮かべた。
「行ってきます」
「どうか気をつけて。万が一、貴方の身に危険が及ぶようなことがあれば、問答無用で連れ戻しますから」
 左手の甲に刻まれた流星(こん)に触れながら、レインジールは真剣な顔と声で言った。
「……また大きくなったね」
 最初は閉じた片翼だったそれは、今や双翼(そうよく)を成し、羽ばたこうとするかのように広がっている。
「はい。あと少しで、完全に羽が開くでしょう」
「……そう、綺麗……」
 そう答えながら、胸の奥に、言い知れぬ不安が(よぎ)った。
 妙に胸が騒ぐ……美しく成長した朱金の流星(こん)に、この先の明暗を分かつ暗示めいたものを感じた。
 手の甲を見つめていると、レインジールは身を屈め、佳蓮の頬にそっと口づけた。
「離れていても、佳蓮を想っています。どうか、お気をつけて。無事にお戻りください」
「……はい」
 湧き上がる切なさを必死に押し殺し、佳蓮も彼の頬に口づけた。
 行くと、決めたのだ。
 奴隷船(アミスタッド)の鎖を引きちぎるように、佳蓮は自ら時計塔の(おお)()を開いた。
 寂しくないと言えば嘘になる。それでもこの時は、何でもやってやるという無限の高揚感に満ちていた。

 だが――
 それが思い違いだと気づくのに、時間はかからなかった。
 素顔で歩けば、誰もが振り返る。
 絶世の美女であり、流星の女神として国中に知られる佳蓮は、どこへ行っても視線を集めた。
 飛び入りで店を訪ね、働かせてほしいと頼むなど到底無理な話だった。店主や女将(おかみ)は親切心から品物を差しだし、挙げ句の果てには手を合わせて拝まれる始末だ。
 時計塔をでて、半日も経たぬうちに、広場の噴水を眺めながら(うな)()れることになった。
 だが、この程度の困難は想定内だ。
 奮起すると、佳蓮は再び往来(おうらい)に溶けこんだ。
 大通り沿いにある、繁盛している宿に泊めて欲しいと頼むと、一等部屋に案内された。金を払おうとすると、全力で断られてしまった。
 前借りした資金は、未だ一銭も減っていない。
 人の善意に胡坐を掻く(やま)しさにさえ目を(つむ)れば、衣食住に全く困らない生活が成り立ちそうだ。
 ――もし、今の地位を失ったら?
 手に職もなく、何の後ろ盾もない佳蓮は、あっさり詰む。
 そう考えて、妙な気分になった。一度は死んだ身なのに、遠い異国の地で将来の心配をしているとは……
 宿に一泊しただけで、佳蓮がいるとどこから聞きつけたのか、大勢の客が殺到した。
 食堂は常に満席。愛想笑いも板についた佳蓮だが、口元が引き()りそうだ。
 善意に包まれ、自他楽な生活をしているはずなのに、心身が休まらない。
 景色に手を振っているようなものなのに、涙を流して感謝する人を見ると、胸が痛んだ。
 女神と崇められて、いい気になっていた頃を、遠い昔のように感じる。
 あんなに心地良かった賞賛も、今では虚しく感じてしまう。
 胸のうちに、不毛の大地が広がっている。水を注いでも、すぐに蒸発してしまう。こんなに空っぽなのに、人が望むように笑えるのだから不思議だ。
 ――結局、あの頃と何が変わったのだろう?
 親やクラスメイトの顔色を(うかが)い、媚びへつらい、自分すら(あざむ)くことに嫌気がさして終止符を打ったのに。()ての大地で、同じことを繰り返している。
 ――女神なんかじゃない‼
 叫びたかった。
 なのに、今日もほほえんでいる……どうして、自分に正直ではいられないのだろう?
 唯一正直でいられた人には、自分から背を向けてしまった。(たもと)を分かつ覚悟で飛びだしてきたのに、もう時計塔が恋しくなっている。
(レインに会いたい……)
 大見得を切って飛びだしてきた自分が、情けなかった。

 宿に七泊した後、一か所に留まる限界を感じて、佳蓮は移動を決意した。
 都会を離れ、紅茶庭園のある風光(ふうこう)(めい)()な田園地帯に行ってみることにした。
 幸運にも、行商の荷馬車に無料で乗せてもらえることになった。
 高価な広域星路陣(グランディア)は、まだ一般家庭に普及していないのだ。
 旅情気分でいられたのは数刻で、陽が暮れる頃には、すっかり震動に参っていた。荷馬車を止めて、森の中で焚火を囲み、皆で温まる頃には、うつらうつら船を漕いでいた。
 アディール新星皇国に降臨してから、初めての野宿である。
 窓硝子のない馬車の中で、継ぎ接ぎだらけの蚊帳(かや)を見た時は、どんな酷いことになるのかと覚悟したが、取り越し苦労に終わった。
 それでも、目が醒める度に躰のどこかしらを刺されていた。マラリアのような病気がこの世界にないことを祈るばかりだ。
 旅はしばらく続いた。
 天気は安定せず、夜半には風の音も掻き消してしまうくらい、強く降りしきる雨のおかげで、何度も目を醒ますことがあった。
 時計塔では、考えられないような経験を幾つもした。
 森での食事もそうだ。
 どこからか姿を現した羽虫が、毎度食卓に群がった。始めは手で追い払っていたが、途中から面倒になり、追い払うのを止めた。
 原始的な生活の不便さを、アディール新星皇国に来てから初めて痛感した。
 とりわけ、冷水で躰を拭く不便さには辟易(へきえき)した。暖かな湯が切実に恋しかった。
 時計塔の暮らしが、どれほど恵まれていたか思い知らされる。
 ――帰りたい。
 何度も弱音が(こぼ)れそうになり、その度に唇を噛みしめた。もう引き返せぬほど、遠いところへ来てしまったのだ。
 我慢の連続だったが、深い森を抜けると急に視界が開けた。
 雨上がりの草原に、虹が二重に架かっている。風に運ばれて、瑞々しい草の匂いが(ただよ)う。壮大で美しい景観に、束の間、全ての疲れを忘れて見入っていた。

 皇都を出発して、六日目。
 アンガスという(ひな)びた田舎街に着いた。
 (おもむき)のある街で、木組みの家や石畳の路が延々と続いている。大通りの樹齢一〇〇年を刻むプラタナスの並木道は、無数の()(みち)に通じており旅情を誘う。
 大通りをはずれて、豊かな丘陵(きゅうりょう)に波打つ広大な葡萄畑の先に、目指していた星修(せいしゅう)院はあった。
 銀色の(もや)につつまれた山々を背に、断崖絶壁に築かれた救済の宿場。赤煉瓦の壁面には(つた)が這い、石は祈りの重みを吸いこんで深い色を帯びている。
 古い建物だが、佳蓮は(ひと)()で気に入った。
 思った以上に長く世話になった荷馬車は、今度は海沿いに南下していくという。
 晩鐘(ばんしょう)を聴きながら別れを告げると、善良な行商の夫婦とその子供達は涙を流した。
「女神様。どうかお元気でいらしてください」
「はい、ありがとうございます。ここまで……大変、お世話になりました」
 佳蓮も泣きながら頷いた。
 大きな(ひとみ)に涙をいっぱいにためて、幼い三歳の娘が、佳蓮の星衣(ローブ)(すが)りついた。
「もう会えないの?」
 (たま)らない気持ちになり、佳蓮はその場にしゃがみこむと、小さな躰を抱きしめた。
「ごめんね。ここでお別れなの。怪我や病気をしないで、どうか健やかでいてね」
「寂しいよぅ~……」
「女神様を困らせちゃ駄目だ」
 幼い手で目をこする妹を、年長の兄が(たしな)める。しかし、彼の声も涙で潤んでいた。
「女神さま、毎日女神さまのためにお祈りします」
 小さな少女の言葉に、佳蓮はほほえんだ。
「私も毎日祈るね。皆さん、ここまで本当にありがとうございました。貴方達の親切を生涯忘れません」
 自然と、頭がさがった。
 顔をあげようとしない佳蓮を見て、彼等は慌てふためいた。
 時計塔を出て行く時でさえ、これほど辛くはなかったと思う。レインジールは居場所の知れている安心があるが、一か所に留まらず行商を続ける彼等とは、次に会える保証がないのだ。
 最後にもう一度抱擁を交わして、別れを惜しみながら、馬車は遠ざかっていった。
 空は茜に染まり、遠くに点在する農家から煙が立ち昇る。
 牧歌的な光景に寂寥(せきりょう)を募らせながら、佳蓮は星修(せいしゅう)院の扉を叩いた。扉を開いた星修女(せいしゅうじょ)は、佳蓮を見るなり目を見開いた。
「こんばんは。皇都からきました、羽澄と申します。泊めていただけますか?」
 女神の来訪を星修(せいしゅう)院は喜んだ。寝床と食事を提供し、長期の滞在も快く受け入れてくれた。
 そうして、慎ましい、清貧(せいひん)の暮らしが始まった。
 穏やかで単調な日々の繰り返しは、心を落ち着けてくれたが、変わり映えのない日々に退屈もした。
 することがない。
 美味しい菓子も、茶会も、胸をときめかせる図書館も、空中庭園もない。
 ただただ、ゆったりと時が流れる、穏やかな日々。
 晴れた夜には、屋上に寝台を並べて、夜空を眺めながら眠りに就いた。朝と晩に讃美歌を歌い、祈りを捧げる毎日。満点の星空も、一〇日も経つ頃には見飽きてしまった。
 満ち足りた時計塔の暮らし。月光のように優しい微笑を思いだしては、郷愁(きょうしゅう)に駆られた。
(……レイン、元気にしているかな?)
 彼なら、たとえ佳蓮が最遠の地にいても、一瞬で駆けつけてくれそうなものだが、音沙汰の一つもないのはどうしてだろう。見放されてしまったのだろうか……
 勝手に塔を出ておいて、連絡をよこさないレインジールが恨めしかった。
 それとも、佳蓮が逃げ帰ってくるのを、待っているのだろうか?
 ほら見たことか――そんな顔で見下ろされるのも(しゃく)で、帰郷の誘惑に耐えている。
 星修(せいしゅう)院にいれば、敬虔(けいけん)な人々に(かしず)かれ、質素ながら穏やかな日々を送れる。
 けれど、虚しさは募った。
 星衣(ローブ)(まと)う佳蓮を前に、感涙にむせびなく人を見るのは、見ていて辛かった。
 純粋な信仰心を前に、足が(すく)んでしまう。
 ――そんな風に思ってもらうような人間じゃないんです!
 大声で否定したい衝動に、何遍も駆られた。
 火の灯された白檀(びゃくだん)の祭壇で、胸の前で手を組み伏目がちに(たたず)む佳蓮の姿は、集まった人々の目に女神として映るのだ。
 ただ型通りに手をあわせ、目を閉じているだけなのに。猫も杓子(しゃくし)もやることは同じと思うが、毎日、佳蓮の前に人は列を成す。ほんの一言、ほほえみ一つを欲して。
 日に日に虚構が現実となっていく。
 ここにいては、環境に負けて洗脳されてしまいそうだ。誰もいない部屋で涙するようになると、いよいよ気が滅入った。
 結局、星修(せいしゅう)院での生活は半年が限界だった。質素な生活に別れを告げて、佳蓮は海辺の街へと移った。