奇跡のように美しい人

4章:聖杯 - 6 -

 時計塔に戻ってから、一ヵ月が経過した。
 限られた時間をレインジールの傍で過ごしながら、佳蓮は愁嘆(しゅうたん)を露わにしないよう、ぎりぎりのところで踏みとどまっていた。
 けれど、どうしても隠しきれない悲壮感が滲んでいるのだろう。レインジールは、気分転換に茶会を開いてはどうかと勧めてきた。
 どうしようか迷っていた矢先、キララから素敵な贈り物が届いた。
 数種類もの芳醇(ほうじゅん)な香り茶葉に、宝石と見(まご)うばかりの氷砂糖、()(がね)に輝く蜂蜜。彼女らしい、気の利いた品々である。
 いい機会だと思い、佳蓮は時計塔にキララを招くことにした。
 返事はすぐに届いた。二人は出会って以来初めて、一〇年の月日を()て、二人きりの私的な紅茶会を開くことになった。

 一二月一〇日。約束の日。
 時計塔六二階、佳蓮の私的な硝子温室に(しつら)えられた茶席へと、キララを迎えた。
 皇太子妃になった彼女は、銀刺繍の(またた)く夜空を映した紺碧(こんぺき)のビスチェ、幾重にも重なる薄紫のフリルに包まれ、その成熟した艶やかさを甘く、優雅に引き立たたせていた。
 一方、佳蓮は真珠のような光沢を放つ白銀のドレスを(まと)い――初めて出会ったあの日から、何ひとつ変わらぬ一七歳のままだった。
 互いの姿を(ひとみ)に映し、流れた年月を思って、それぞれ胸に感慨を抱いた。
「お久しぶりです、ハスミ様。長旅の疲れは取れまして?」
 気遣かわしげに(たず)ねられ、佳蓮はほほえむ。
「ありがとうございます。もうすっかり、いつも通りです」
「それは良うございました。浮島から仕入れた胡桃(くるみ)茶を持って参りましたの。どうぞ」
「わぁ、ありがとうございます!」
 異国風の茶缶に、佳蓮の表情がぱっと明るくなる。
「先日いただいた茶葉も、とても美味しくいただいています。ありがとうございました」
 今、二人が口にしている紅茶も、キララから贈られた品の一つだった。
 檸檬と蜂蜜の爽やかな甘みに、肉桂(シナモン)芳醇(ほうじゅん)な刺激。硝子越しに雪景色を眺めながら味わえば、心までもが、ひだまりに溶けるように温まっていく。
 互いの近況を一通り話し終え、少し沈黙が落ちると、キララは躊躇(ためら)うように口を開いた。
「……一つ、訊いてもよろしいかしら?」
「はい?」
「ハスミ様は、メビウス総監のどこに惹かれていらっしゃるの?」
「え?」
「気を悪くなさらないでくださいね。ただ、不思議でしたの。誰もが貴方に夢中なのに、貴方はあの方だけをお慕いしているように見えましたから」
「謝ることではありません。事実ですから。私は、レインジールに首ったけなんです」
 にっこり笑うと、キララは目を丸くして、まぁ! と素直な声をあげた。
「どこに、それほど惹かれたのです?」
「全部です。天使のような容貌も、銀色の髪も、優しい声も、性格も……趣味もあいますし、彼みたいな人は、世界中のどこにもいないと思います」
「……流石ですわね。非凡というか、超越した感性をお持ちですのね」
 感心したように頷くキララを見て、佳蓮は小さく笑った。
「レインがいなければ、今こうして、紅茶を飲んでいることもなかったと思います。彼は私を暗闇から救いあげて、光のもとへ連れ戻してくれました。誰が何と言おうと、私にとってレインは天使なんです」
「そこまで想われて……メビウス総監は、お幸せですわね」
「彼に出会えた私の方が、幸せなんですよ」
 はにかむ佳蓮を見て、キララは驚いたような顔をした。
「……意外ですわ。そんなふうに、心を打ち明ける方だとは思いませんでした」
「そうですか?」
「不敬かもしれませんが……万人にほほえむ方だと思っていました。特定の誰かに、心を捧げることはないのだと……」
「私は、そこまで優しくありませんよ。苦手な方もいますし……レインは、特別なんです」
 不思議そうに、キララは小首を(かし)げた。
「シリウス皇太子殿下にはつれない態度をお取りになるのに、メビウス総監には、そのようなお顔をされるのですね」
 はっきり言うキララに、佳蓮は苦笑を浮かべた。
「人の好みは、それぞれですから」
「……そうですわね」
「おかしいでしょうか?」
「いいえ。ただ、以前とは少し印象がお変わりになりました」
「昔は、色々なことに気づけませんでした。がっかりさせてしまいました?」
「いいえ、まさか……ただ、以前の方が、自信に満ち溢れていたかしら?」
 少しばかり衝撃を受ける佳蓮を見て、キララは慌てて扇子で口元を隠した。
「まぁ、私が意地悪をしているみたいですわね。ハスミ様が年頃の娘に見えて、困ってしまいます」
「ごめんなさい。もともと、後ろ向きな性格なんです」
「女神ともあろう御方が、ご自分でおっしゃるの? 誰に脅かされることもないのですから、堂々としていらっしゃればいいのよ」
「……そうですね。妃殿下を見習いたいです」
「嫌な女だと、思っていらっしゃるのでしょう?」
「まさか。ずっと、こんな風にゆっくりお話ししてみたいと思っていました」
 疑うような視線を向けられ、佳蓮は苦笑する。
「本当ですよ。妃殿下は私を全肯定なさらないから、話していて楽なのです。レインですら、最初は盲目すぎて、私の落ちこみやすさに気づかなかったくらいですから」
 キララは、未知なる者と遭遇したような表情を浮かべた。
「……そうですの?」
 扇子越しの声は素っ気なかったが、(ひとみ)には喜びの光が灯っている。
 それは佳蓮も同じだ。最近の沈みがちな気分を払拭したくて招いた茶会だったが、思った以上に良い気分転換になっている。
「私、友達と呼べる人がとても少ないんです。良ければ……これからも仲良くしていただけたら嬉しいです」
 今なら、彼女と良好な関係を築いていけそうな気がする。
「まぁ、おかしな方! 私はすっかり嫌われていると思っていましたのに」
「誤解です。キララ様の(いさぎよ)いところも、お洒落なところも、素敵な茶会を開いてくださるところも、好きですよ。以前から、仲良くなりたいと思っていました」
 胸中を明かすと、キララは目を(みは)り、慌てて扇子で口元を覆った。
「それに……嫌いな人と、二人きりで紅茶なんて飲みません」
 悪戯(いたずら)っぽく笑う佳蓮を見て、キララも目元を和ませた。
「それも、そうですわね」
 (うそぶ)いて声にだして笑う。
 佳蓮も、久しぶりに心からの愉快さを覚え、共に笑った。