メル・アン・エディール - 飛空艦と少女 -

2章:キスと魔法と逃走 - 9 -

 ルーシーと共に空母へ戻ると、武装して待ち構えている兵士を押しのけて、カミュが傍へ駆け寄ってきた。

『アスカッ!』

“無事?”

 武装した兵士達は、飛鳥に向かって一斉に銃口を向ける。カミュは、鋭い声をあげて彼等を制した。これまで飛鳥を警戒していた急先鋒きゅうせんぽうが、掌を返したように飛鳥を背に庇うので、周囲は大いに戸惑っている様子だ。
 無理もない。彼が別人のように見えるのは、飛鳥が心を奪う魔法をかけたせいである。
 飛鳥は胃を痛くしながら、解呪を唱えようとした。叱責がすぐに終わることを祈るばかりだ。
 しかし、口を開いた途端、ルーシーに荒々しい手つきで肩を掴まれた。煮えたぎる青い双眸が飛鳥を捕える。

『*******!』

“なぜ逃げた!”

「ごめんなさ……」

 瞳に宿る険しい光。強い口調で責められると、つい謝ってしまう。飛鳥にも言い分はあるのだが、伝えられないことがもどかしい。
 泣きそうになりながら俯いていると、ユーノがルーシの手を掴んだ。カミュもルーシーと対峙して、背中に飛鳥を庇う。

『ルーシー、***。アスカ******』

“アスカに何をする”

 カミュがルーシーを責めている。この間と二人の立場が逆だ。ルーシーは頭痛を堪えるように、こめかみを抑えた。

『アスカ……、*******』

“彼等を、元に戻してください”

 ルーシーに睨まれて、飛鳥は首を竦めた。この件に関しては、全面的に飛鳥が悪い。この後に予想される鋭い罵倒を覚悟して、カミュに向き直るなり解呪を口にした。

「カミュ、メル・サタナ。ユーノ、メル・サタナ」

 カミュは、夢から覚めたように、飛鳥を見下ろした。カミュの変化をじっくり見守る勇気はない。飛鳥は、逃げるように視線を逸らした。
 一方、ユーノに変化は見られない。解呪が効いているのかどうか、飛鳥の目には判らなかった。

『アスカ……』

 カミュは己に起きた変化に戸惑っているようだ。怒鳴りこそしなかったが、飛鳥に恐れをなしたように数歩後じさる。その態度にも十分傷ついたが、飛鳥は黙って甘受した。
 この先、もう二度と逃亡は叶わないだろう……。
 更に酷い扱いを受けるかもしれない。暗澹あんたんたる気持ちで虚空を見つめていると、ふいにユーノに抱きしめられた。

“アスカ、やはり逃げますか?”

「ユーノ……」

 飛鳥を抱きしめるユーノを見て、ルーシーは驚いたように目を丸くした。

『*******?』

“どうやってユーノを操っている?”

 ルーシーが飛鳥からユーノを引き剥がそうとすると、ユーノは抵抗を見せた。ルーシーの手を避けて、飛鳥を抱きしめたまま後ろに下がる。

『***、アスカ************、******************』

 ユーノは飛鳥を抱きしめたまま、ルーシーに対して言葉をかけた。何を言ったのかは判らないが、ルーシーはとても衝撃を受けたようだ。青い眼を瞠って、ユーノと飛鳥を交互に見やる。

“機械に心を与えられるのか……? そんな馬鹿な――”

 ルーシーはベルトからペンライトのようなものを取り出し、ユーノの首に押し当てた。嫌な予感がする。青白い放電と共に、パチッと音が鳴り、たちまちユーノは壊れた人形のようにくずおれた。

「ユーノッ! 何したの!?」

『******』

“眠らせました”

 一応、ルーシーもユーノの身を案じているようだ。今のはどうやら、麻酔のようなものらしい。しかし、ぴくりとも動かないユーノを見ていると不安になってくる。ちゃんと眼を覚ますのだろうか……。
 やがて、担架を持った兵士達が近付いてきて、糸が切れたように動かなくなったユーノの体を運び出した。
 別の兵士が、拘束具を手に飛鳥に近付いてくる。あれをつけられるのだろうか。恐怖に硬直していると、ルーシーに肩を抱き寄せられた。兵士は躊躇ったように足を止める。
 飛鳥は、ルーシーに引きずられるようにして滑走路を後にした。巨大なゲートをくぐって、空母内に侵入する。
 結局、逆戻りだ。
 涙が溢れてきた。これから、どうなるのだろう。何をされるのだろう。不安で堪らない。

“そんなに……、ここが嫌でしたか?”

 ルーシーの問いかけに、無言で頷いた。その拍子にパタパタと涙が零れて地面を濡らす。

“私を、許せない……?”

 飛鳥はルーシーをじっと見つめた。逃げ出した飛鳥を、追い駆けてきたことを言っているのだろうか。それとも、キスのことだろうか。
 どちらにせよ、ルーシーが悪いわけではない。ゆっくり首を左右にふると、大きな手に両の肩を掴まれた。

『******……』

“なら……”

 ルーシーの青い瞳に、戸惑いが浮かんでいる。いつもはっきり読み取れる思考が、不明瞭にぼやけた。

「ルーシー……?」

 ゆっくりとルーシーの顔が近づいてくる。このままだと、キスされそう……。
 心臓がドキドキする。自意識過剰かもしれないが、我慢できずに下を向くと、額に柔らかな感触がした。額を抑えて顔を上げると、思ったよりずっと近くに、ルーシーの美貌があった。

“どうして、カミュに力を使ったんですか?”

「……」

 そんなの、決まっている。真っ直ぐに見つめる飛鳥を見て、ルーシーは念を押すように尋ねた。

“ここから、逃げる為?”

 飛鳥は恐る恐る頷いた。

“それだけ?”

 他に何があると言うのだろう……。飛鳥が疑問に思っていると、ルーシーは半分瞑目した。

“――心配しなくても、アスカを傷つけるような真似はしません”

「ルーシーはそうでも、他の人はどうか、判らないし……」

 泣きながら、ぼそぼそと喋る飛鳥の顔を、ルーシーは覗き込もうとした。飛鳥が顔を背けると、宥めるように頭を撫でる。

『アスカ、******?』

“言葉が判れば……”

 ルーシーは優しい。なんだかんだで、飛鳥を心配してくれる。言葉の判らない飛鳥の意志を、汲み取ろうとしてくれる。心を読む飛鳥に怯まず、手を差し伸べてくれる。
 でも、絶対に守ってくれるわけではない。
 ルーシーは軍人だ。エルヴァラートや、ルジフェルに飛鳥を引き渡せと命じられたら、従わざるを得ないだろう。たとえ、飛鳥が嫌がったとしても――。